ダーウィンの悪夢

監督:フーベルト・ザウパー
タンザニア、ケニア、ウガンダの三ヶ国に囲まれた世界第三位の大きさを誇るヴィクトリア湖は、湖底地形に適応しながら多くの種に進化してきたシクリッドというウスズメ科の魚が住み、生物進化を目の当たりに出来ることから、生物多様性の宝庫として「ダーウィンの箱庭」と呼ばれていた。
しかし、ナイルパーチという大型の肉食魚が放流されたことで、在来種は急激に減少し、工場廃水や森林伐採などの要素も加わって環境は破壊されていく。増え続けるナイルパーチによって湖の生態系が壊滅的な状況に追い込まれる一方で、淡白な白身で加工もしやすかったナイルパーチの輸出がタンザニアの一大産業へ成長していった。
この「ダーウィンの悪夢」という映画は、ナイルパーチを巡る状況を辿りながら、世界と経済の構造とジレンマを描くドキュメンタリーだ。

清潔な魚加工工場には「あなたも大きなシステムの一部である」と書かれたカレンダーがかけられている。「でももう、ナイルパーチは供給過多なんだ」と工場長は話す。しかし一歩外にでれば、魚のあらが無造作にトラックに積み込まれ、地元民のもとへ運ばれていく。うじのわいた魚を干す女性。そして少ない食料を奪い合い、梱包材を溶かしたものをドラッグ代わりに頼ることで眠る少年たち。
毎日何便もの大型飛行機が上空を行き来しているというのに、なぜ彼等はこれほどまでに貧しいのだろうか。旧ソ連からやってくる飛行機は55トンもの魚を詰めてタンザニアを飛びたつ。しかし彼等がやってくるとき、そこには何が詰められているのか?
工場長は「からっぽだよ」と答える。しかし映画の中盤で「新聞にタンザニアの保安長官が飛行機による武器密売に関与し起訴されたと載っていた」と話す人物が登場し、徐々に、このナイルパーチという魚の影に広がる、グロテスクな闇がその片鱗をのぞかせる。
暗闇の中でインタビューに答える漁業研究所の警備員ラファエルは充血した目を光らせながら「戦争さえあれば軍隊に入れるのに」と語る。「でも人を殺したいわけじゃないですよね?」と問うインタビュアーに、彼はちょっと戸惑った顔で答える。「でも戦争ってそういうもんだろ?」

圧倒的な映像だったと思う。帰り道、呆然と渋谷の町を歩きながら鼻先にずっと腐った魚のにおいがまとわりついているようだった。
しかし同時に、このカメラの視線は少し偏っているなとも感じる。私は魚のフォルムが大好きなのだけど、この映画に出てくるナイルパーチはどのショットを見てもグロテスクにしか見えない。それは色合いや角度の問題でもあり、カメラの恣意的な演出であると感じた。それから前述の武器密輸に関わった官僚逮捕についての新聞記事も、具体的に説明/提示されないのが気になる。この映画にはそのような不鮮明な情報が多い。ほかにも、インタビューのほとんどが英語でなされている点も不自然に感じられた。

この映画の欠点は科学的説明や事実関係の説明が不足していることだ。たとえばナイル・パーチがヴィクトリア湖の生態をどう破壊したのかの科学的説明を。ぼくは知りたかったし。またナイル・パーチが具体的にどのくらいの数量輸出されてるのか、あるいはエイズが流行しているというが、住民の何%が感染してるかを示す統計はないのか、(それについては牧師によるおおまかな説明があるが、あくまで「おおまか」なものである)もしないとしたらその調査を妨げているものはなにか。そういう疑問に答える資料がないとはいわないまでも非常に少ないのだ。つまりこの種のドキュメンタリーに一番必要なものが足りない。おそらく107分という尺で一般公開するために、その種の教育的啓蒙より、けれん味あふれる残酷映像を優先させた結果だろう。
「Pleasure:スプーン1匙ぶんの」

このE-chikoさんの感想はとても中立的なもので、共感するところが多かった。
ほかにもいろいろと感想を辿っていたら、映画に対してタンザニア政府から抗議があったこと。そして、これはあまりにも偏った見方であるとして注意を呼びかける意見も多いことを知った。

映画に出てくる売春婦、子供がプラスチックを燃やして麻薬のように吸っているシーン、非衛生的な環境などは、タンザニアが貧しい国であることを象徴するような事柄ですが、ナイルパーチがその元凶であるように描かれると、「ちょっとまてよ、これはアフリカの一般的な現実なのではないのか」、と感じてしまいます。ナイルパーチ産業が雇用を促進していることも確かで、直接的な雇用として4000人、間接的な雇用として50,000人(ムワンザ市の人口は50万人、上述のDaily News紙による)をつくり出しています。
フーベルト・ザウパー監督による映画『ダーウィンの悪夢』について

それからこちらの記事(「ダルエスサラーム便り:ヴィクトリア湖の環境問題」「ダルエスサラーム便り:ダーウィンの悪夢」)では、現地の詳しい状況などが写真付きで紹介されている。

私個人の思いとしては、しかし、この映画がドキュメンタリーとして正しいとか正しくないとか、そういった議論だけで消費されるのは惜しいと思う。ドキュメンタリーは常に、ある種のフィクションでもある。それは心に留めておくべきことだが、しかしそれでも、そこには現実が映り込んでいる。
これはタンザニアの、ムワンザに限った話ではなく、ましてやアフリカに限った話でもない。私だって「大きなシステムの一部」なのだ。否応無く。
この映画が「ダーウィンの悪夢」と名付けられたのは、生物多様性の宝庫として「ダーウィンの箱庭」と呼ばれたヴィクトリア湖ナイルパーチの関係を通して「適者生存」という言葉を連想させるためだろう。
「環境」に適応した者が生き残るというシステム。
でも、「環境」って何なのか、適応する/しないを決めるのは何か、それは選べないのか。そんなことを考え込んでしまう。
残酷な映像は確かにショックだったけれど、生きることに迷いがない人々の姿が深く印象に残る映画でもあった。