スキャナー・ダークリー

ichinics2006-12-29
今日は寝覚めが悪かった。明日は「スキャナー・ダークリー」を見に行こう、と決めてから眠ったせいか、虫がたくさんでてくる夢を見たのだ。
小説の冒頭で描かれる「虫」の幻覚はそれくらい強烈で、映画もまた「虫」と格闘する場面で始まり、このオープニングが、一気に少しずれてしまった世界に入り込むうまいきっかけづくりになっていた。
この映画は、同じくリチャード・リンクレイター監督の「ウェイクング・ライフ」でも使用された「デジタルロトスコープ」という実写をトレースしたアニメーション映像が使用されてる。このエフェクトは、なにか越しの世界、を描くという意味もあったのだろうし、効果的な演出だったと思う。たって、映画を見終わった後には、まるでその世界の困難さに触れてしまったように、ぐったりしてしまった。
物語は、「物質D」というドラッグが蔓延した近未来のアメリカで、麻薬中毒者とともに生活をしながら、囮捜査をしている主人公(キアヌ・リーブス)が、自らを容疑者として監視する任務を命じられるというもの。原作者フィリップ・K・ディック自身の体験から生まれたものらしい。

麻薬乱用は病気ではなく、ひとつの決断だ。しかも、走ってくる車の前に飛び出すような決断だ。それは病気ではなく、むしろ判断ミスと呼べるかもしれない。おおぜいの人間がそれをはじめた場合、それはあるひとつの社会的な誤り、あるひとつのライフ・スタイルになる。この特殊なライフ・スタイルのモットーは、「いますぐ幸福をつかめ、明日には死ぬんだから」というものだ。しかし、死の過程はほとんどすぐにはじまり、幸福はただの記憶でしかない。つまり、それはごくふつうの人間の一生をスピードアップせさただけ、強烈にしただけだ。/「スキャナー・ダークリー」p462

ディックは何も、彼らを非難しているわけではない。それどころか、この物語は教訓ではないし、ただ彼と過ごした日々は、楽しかったということを書いている。
映画はその点を忠実に描こうとしたもののように思えた。キャラクターたちのやりとりはユーモアに溢れていて、おおむね愉快ともいえるものだった。しかしだからこそ、互いを出し抜くことを考えはじめる展開には気がめいるし、主人公の「自我」が混濁していく様を見るのもつらい。
私は麻薬中毒というのがどういう状態なのか知らないので、ただ想像するしかないのだけど、自分で自分の意識を信じられなくなる恐さ、というのは、この映画でじゅうぶんに伝わってきたように感じる。幸福に見えたそれが、だんだんと不幸から逃れることにシフトしていくということなのだろうか。

RADIOHEADの音楽があちこちで聞けたのが、個人的に楽しかったです。エンドロールソングはThe Eraserから「Black Swan」だった。映画館て音がいい…と思いました。