「青い花」/志村貴子

昨日の「ぼくは、おんなのこ」で気持ちが盛り上がったので「青い花」を再読しました。すばらしいな。一気に読むのと、連載で読むのとじゃやっぱり違うよなぁ、とか、しみじみ思ってしまった。

青い花 1巻 (F×COMICS)

青い花 1巻 (F×COMICS)

青い花」は女の子の、おもに女の子に対する恋と友情を描いた物語。
青い花」で描かれる女子校の日常、そして女の子どうしの関わりの道のりは、いたるところにいつか見た断片がちりばめられていて、読んでいるとまるで、忘れていたものを掘り起こされるようで胸がつかえる。
もちろん、現実はこんなに美しいものではなかったけれど、それはまだ自分の生きている場所を把握していない頃の、そんなことを意識すらせずに何かを信じているような「自分」と、世界との齟齬に出会う日々だった。

「入る部決めた? 部活」
「いえ 入る気ないから」
ブー ウチは全員なんらかの部に所属しなくちゃいけないんですーー」

例えば冒頭のこんなやりとりも、旧友に再会する母のちょっと濃い化粧も(p34)、今思えば何ということもないのに、ちょっとした寝癖みたいに、気になって仕方なかった。
そして、人を好きになるということ。
私の通っていた女子校の、特に中学の頃は、女の子が女の子を好きになるということは、わりとよくあること、だった。「よくある」というのはつまり、わりと普遍的な、誰にでも理解できる感情として、特別扱いされていなかったという意味だ。
ただ、そのほとんどは一過性の「流行」みたいなものだったので、「つき合っている」人っていうのはそれほどいなかったけど、卒業式でボタン下さいとか(ブレザーだけどね)、バッジ下さいとか、そういうのはおおっぴらだった。
独占欲やら憧れやら友情やら自己愛やらの入り交じった感情として、みんな誰かを好きになりたいと思っていた。「好き」という気持ちを定義するために、好きになる相手を探しているみたいだった。
青い花」で描かれる恋を見ていると、あの頃の雰囲気を思い出す。
ふみの恋が、疑似恋愛だ、といいたいわけではない。相手が同性であったり、例えば「先輩」の初恋のように、相手が教師であり姉の婚約者であり、と障害があればあるほどのめり込みやすいのだろうけど、志村さんの描く物語は、ここでもやはりこちらの予想するところとは軸をずらし、その葛藤についてはほとんど触れられない。
ふみの熱にうかされたようなあの視線は、ひたすら真摯で、嘘をつく余裕なんてない。でもそれは、どこまでも「物語」であって、つき合うという「現実」を夢見てはいても想定していない、一方的な欲望だったりもする。先輩の泣く姿を見て、思わず「かわいい」と漏らす場面なんて、ぞくぞくする。
ああいうのは、あの頃だけだ。あれは何というんだろう。
この感じは前に読んだ「のはらのはらの」(id:ichinics:20060619:p1)にも似ていて、BLを好む人というのは、あの「物語」の感じを求めてるのかな、とちょっと思った。でも男の子がこれに感情移入することがあるのかっていうのは、わからない。

何か他人事みたいに書いてしまったので、私がその頃どうしていたかというのを告白しておくと、私は小学校の頃から好きだった男の子のことを中学行っても好きで、通学時に見かけるだけでお祭りみたいな、そんな感じでした。今となっては苦笑するしかない。中学ではショートカットというだけでもてました。そしてその過程で、あの男の子を好きでい続ける自分も、こんな感じだなと思ってしまった。
だから私が「青い花」を読むことで、思い出すことの多くは、長いことフタをしていた、戸惑いというか、齟齬だったりする。
でも私は、この物語にでてくる人たちのことを、いとおしいと思う。そしていつのまにか、長いこと恥じていた青さみたいなものを、まぶしく感じるようになっていることに、気付かされもした。

「女の子はめんどくさいよ」p128

今の「少女漫画」をあまり読まない私が言うのもおこがましいけど、たぶん「少女漫画(を好きな「私」)」は長いこと、この先輩の台詞と近い場所にあったと思う。女の子を否定することで「自分」を否定し続けるような同族嫌悪の連鎖。
この「青い花」は、その言葉を解放するものに、なるような気がしている。

青い花 2巻 (Fx COMICS)

青い花 2巻 (Fx COMICS)