言葉の手前、沈黙

例えばこうして日記を書くにあたって、ある引力に従うようになる、ということは書くことがうまくなったということではなく、言葉が、自分の意志するところから離れていくことであるような気がする。
自分の中にマッピングされた言葉の全容を見ることなどできないのだから、常に言葉は追い求めるものであり、形作られた瞬間に光のあたったそれは、思い描いていたはずのものとはまったく違う、ということもあるだろう。そもそも思い描くものを形作るなどということが、可能なのかもわからないのだけど。
意味は光ではなく、影にあるのかもしれない、という人の言葉に、私は逆らうことはできない。
しかし、そのように並べられた言葉をみてはじめて、私はその向こう側にある沈黙を想像することができる。
その気配を、どうにか言葉につなげてみることで、現れるのはまったく別のものなのかもしれないけれど、その場においては、できる限り、自分の引力に逆らうようにして、目を凝らさなければならないと思う。ここにも沈黙はある。