町で見かけた議論/問題までの距離

駅前は帰宅ラッシュで、散らばっていくサラリーマンと、大学生やら部活帰りの学生服の輪が、あちこちで人の流れを割る。会社帰りの7時過ぎ、買ったばかりの漫画を読もうと思って喫茶店に入ったのだけど、やがて、だんだんと大きくなる声に、背後のソファ席で男の子2人が言い争っていることに気が付くと、気もそぞろで読書どころじゃなくなってしまった。

A「お前がそれでいいならいいんじゃん?」
B「は? なにそれ? いいならいいんじゃんならさいしょからいわなきゃいいんじゃん?」
A「や、だってそう思ったのは事実だし」
B「だからそれは誤解だっていってるじゃん」
A「だからお前が誤解だってことでいいなら、いいんじゃん?」
B「………」

背中で聞いていた私も思わずゴクリノと息をのんでしまうような張りつめた空気。
議論になって、お互いに譲らなくても解決をみることはできると思うけれど、片方だけが議論からおりてしまうと残された方は非常に切なく、ときとしてそれは怒りにも転じるんだなということを思った。
彼らの会話の「誤解」ってのが何なのかは結局わからなかったんだけど、この前の会話の雰囲気から察するに、AがBになんらかのダメ出しをして、Bはそれに反論してんだけど取り合ってもらえないという感じだった。
例えばこの題材が、A・B双方から等しく遠距離にあるような「問題」、 例えばカフェオレとカフェラテの違いとか(それもそれで重要かもしれないけれど)だった場合は、どちらかが「いいんじゃん」といって議論を終わらせたって、それほど波風たたないだろうなと思う。
が、物事を自分の問題として捉える範囲というのはそれぞれであり、その範囲の違いが口論の原因になることもあるのよなと思ったりした。私も、例えば「一般化」することに無頓着な話題などにはカチンときたりすることはあるし、でも、それに噛み付いても不毛であったり、私が「例外」を代表するようないい方になってしまうことにためらったりもする。
2人が沈黙している間、私は、たぶんBの目的は既に、Aの意見を覆すことではなく、Aに意見を認めてもらいたいだけなのだろうな、とか考えていた。が、私が再び読書に戻ろうとしたとき、Aが空気をかえようとしたのか、少し大きめの声で笑っていった。

A「なんだよ、そんなマジんなんなよ。たいしたはなしじゃねーし」

あーあ、と思った。Aが席をたった折に少し振り返ってみると、おちつかなげに体をゆするダッフルコート姿の背中があった。
Aが帰ってくると、2人は無言のまま、もしくは小声で何かいって、店を出ていったのだけど、何というか、こういうやりとりをいなすこと、いなされることって、社会に出ると、いちいち感情を波立たせるのも面倒だしね、とか思って避けてしまうものだけど、そのうち、波にのれなくなるだけで、どう解決すればいいのかっていうのは、いまだによくわからないなと思った。こういう本番を目の前にすると(盗み聞きだけど)、会話を動かすのって1人じゃできないのだなと思う。……他人の会話でいろいろ考え過ぎですが。