ディパーテッド

監督:マーティン・スコセッシ
最初に私は「インファナル・アフェア」三部作が好きすぎるということを書いておきます。なので、あれと比較しないで見ることはできなかった。で、あれを見てなければ、おもしろー、と思ったのかもしれないし実際面白いんですが、やっぱり三部作見てしまった後の、「ディパーテッド」は名作「インファナル・アフェア」のハリウッドリメイク版。だったなぁ。監督はきっと相当「インファナル・アフェア」が好きなんだろうなっていうまんまなオマージュシーンも多々あり、というかほとんどまんまなんですが、まんまにならないのは、情感が足りないからだ…と思った。
オリジナルは香港黒社会と警察の物語でしたが、「ディパーテッド」ではアイリッシュ・マフィアと警察の物語になっています。
まず、「インファナルアフェア」は、マフィアに潜入した警察官と、警察に潜入したマフィアが、光となり影となる、そこの葛藤や悲哀を描いたものだったと思う。トニー・レオンがあの濡れた瞳で語りかける「本当の自分」を求める苦悩、対するアンディ・ラウが非道さの中に滲ませる「正義」への純粋なあこがれ。そのような情感があったからこそ、それぞれが魅力的で、燃える物語だった。なので、1のエンドロールで流れる主役二人が暑苦しく歌い上げるという演出すら、壮大な大河の流れを盛り上げていたわけです。
しかし「ディパーテッド」におけるディカプリオ(トニー・レオン側)は、悪い奴を演じている演技ゆえになんだか全ての台詞が台詞っぽいというか、こんなよくわからないキレ方でなんでボスの信頼を得られるんだか…と思ってしまった。そしてマット・デイモンアンディ・ラウ側)は、いい感じの、やらしさ/ごう慢さがあったんですが、あっさり裏切り過ぎに思えた。
なんというか、二人とも「与えられた役」を演じて演じきれていないという演技(ややこしいけど)をしていたように見えた。でもそれは役者の問題というよりは、脚本なんだろうなと思う。

そもそも、「インファナルアフェア」ではボス同士の対決も見どころだったのですが、ジャック・ニコルソンに対してマーティン・シーンはいいひと過ぎるというかなんつーか弱い(そこをマーク・ウォールバーグ演じる新キャラで補おうとしてたんだと思うケド)。ジャック・ニコルソンはよくわからないイメージ濡れ場が多かったです(オペラ見てるとことかな)。
それから町があんま魅力的に見えないってのもハードルになっていたかもしれない。町に暮らしている「普通の人」が見える場面があのチェイスシーンくらいしかなかったような気がする。でも、あの風景に何か感じるところがあり/香港がイメージしにくいアメリカ人にとっては「こんな面白い脚本が」という良き「インファナル・アフェア」への導入編になる、のかなぁ。
それから、香港ノワールに受け継がれる、アクションを美しく見せる「振り付け」も、「インファナル・アフェア」の見せ場であったわけですが、スコセッシ監督がその他の様々な場面(エレベーターの入り口がガコンガコンとか)をカバーしつつ、あの屋上の美しい「対峙」はカバーしなかったところに美意識の差があるのかなーと、思ったりしました。銃口がまっすぐ画面を向いて、撃つところまで映されている冒頭のショットとか、いいなと思った。

うーん。なんか文句ばっかりになっちゃったな。面白かったのもほんとなんだけど。

次は是非ポン・ジュノ監督で。