「すごいことなんてない…ただ当たり前のことしか起こらない」

そんな諦観、もしくは世紀末的への失望は、あくまでも外に向かっているようで、実は内側、つまり自己との出会いにつながっている。
物語で描かれるそれは「世界のとらえかた」なんてつまらないことじゃなくて、試される場、チャンスが欲しいということのように思えるし、実際に主人公は試されることになったうえで、それでも何もできない自分に出会ったり、何かできたことで成長したり、する。ナオ太も、シンジ君も、レントンだって?
でも「バットはまず振ってみなきゃ」って、それをメッセージとして受け取るのも、なんかちょっと違うような気がするなぁってひねくれた世紀末に、試されてもなお、「すごいことなんてない…ただ当たり前のことしか起こらない」世界は続くのが「フリクリ」だった。
そして何事もなく、21世紀はやってきた。「凹村戦争」でも、その苛立ちは続いていて、だからつまり世紀末でなくたって、いつだって凹村から出たいけど、あがいたところで出たところもまた凹んでしまってるのだ! じゃあどうする? どこにいってもおなじなら、ここにいても同じ? むしろ満足している……なんて箱庭的充足感が、空気、だったときもあったような気がする。
そして(1997年から10年後の)今、「トップをねらえ!2」や「時をかける少女」で描かれたノノやマコトの強さとか、努力と根性とか、新鮮に感じられるのは、彼女たちその辺のあきらめに流されることがないからなのかなと思う。
動物的というか。
で、その、ちょっと鈍感なまでの前向きさに、打ち砕かれたいとおもうこの気持ちは、なんていえばいいんでしょう。初恋の、次みたいな?
ってそういえば

「酸っぱいのは嫌いなんだよ」
「辛いのも苦手」

で、「最近つぶつぶが好き」? ナオ太がラストに飲んでいるのはブラックコーヒー*1だった。

なんていろいろ考えてたら、そういえば、「ひぐらし」は、その箱庭が裏になったり表になったりするとこが面白かったよなぁって思って、まあ、つなげる必要はないんですが、今求められてるものの空気というか、そういうのがあるのかなぁってのはちょっと考えてみたいなと、思ってます。【この文の続き → id:ichinics:20070219:p1】

凹村戦争(おうそんせんそう) (Jコレクション)

凹村戦争(おうそんせんそう) (Jコレクション)

*1:もちろんUCC、だったと思う