ちょっとしたことで楽しくなったり悲しくなったりする

わりと近所に駅ビルができて、当初はそのきらびやかさに8割の期待と2割の反感、みたいなものが町に溢れていたように思うのだけど、それから数カ月もたった今では、すっかり日常の風景に埋没し、そこにあるのに存在を忘れられていたり(ただの待ち合わせ場所になっている)、物足りなく思われたり(あれがないのは不便だ、云々)している。その様子はまるで、ぐったりと疲れて寝そべった血統書つきの犬みたいだ、というのは駅前のオープンカフェに犬を侍らせた人々が溢れていることによって引き起こされた連想なのだけど、ともかくその半端な豪華さがかなしい、とか思いながら通り過ぎ、電車に乗る。乗る時に、いしはらゆうじろうのような格好をしたお兄さんがいて、そのストローハット、が格好良いなと思ってすこし楽しくなる。今日の風はやわらかくて、花粉症には縁がなかった私も、少しだけ、のどがかゆい。友達に会う。坂道をのぼり、靴を予約する。そして手作りの、上等な家具を眺めに行く。こんな机で本を読みたかった、と展示されていた机にしがみつきたい気分になるも、そもそも自分には置く場所がないことを思い出し、肩を落とし、値札も見ずに店を出る。帰りにまた(例に寄って/いつものように)喫茶店で読書。隣の席の人が、次から次へと、電話をかけまくっている。ひとつの電話でした話を次の電話で報告。私はいま、誰かに電話をかけたいだろうか、なんてことは考えもしなかったけれど、そういえばもう、電話って、あまりしなくなった。メールばっかりじゃなくて、たまには電話したり、手紙かいたり、したいなとか思う。漠然と、相手も想像せずに。22時頃、帰宅してパソコンをつける。そして、この、私の机だって、悪くないじゃないかと思う。パソコンを置いただけで、いっぱいになってしまっているけれど。