海の仙人/絲山秋子

いろんなところで感想は読んでいたくせに、まだ読んでなかったこの「海の仙人」で、今のところ刊行されている絲山秋子さんの小説は、全部読んだ、はずだけど、やっぱりどれを読んでも、好きだなぁと思う。お話の題材はどれも近いのに(「袋小路の男」だけはちょっと異色にも感じるけど)、それぞれの手触りがあって、中でもこの小説の質感は、やさしい。

海の仙人 (新潮文庫)

海の仙人 (新潮文庫)

二作目ということもあって、現在と比べるとまだ語り口が固まっていない印象を受けるけれど、あくまでも平易な言葉を繋ぎながら、色があり光があり、人の体温というか、気配みたいなものを感じさせる文章を描いていく腕前が存分に楽しめる作品だった。

「孤独ってえのがそもそも、心の輪郭なんじゃないか? 外との関係じゃなくて自分のあり方だよ。背負っていかなくちゃいけない最低限の荷物だよ。例えばあたしだ。あたしは一人だ、それに気がついてるだけマシだ。」/p96

例えばこの台詞は、話の流れからすると、いきなり核心をつく直接的なものにも感じられるし、この台詞を書きたい、と思って作者はこの場面を描いたのだろうなと思ってしまう時っていうのは、時として少しこそばゆかったりもする。けれどこの小説では、読者としての私が感じている動揺までもが、キャラクターに光をあて立体感を描くものとして生きているように感じられてしまう。人物の存在が急に近くなったような気がして、どきっとする感じ。しかも、さらっと物語の主題を語っている台詞だったりもする。
そして何より、私はこの物語にでてくる人々、とくに主人公、河野のことがとても好きだ。
河野はあるきっかけで会社員を辞め、田舎に一人で「海の仙人」みたいに暮らしている。釣りをして泳いで砂を運び、天気図を書きながらヤドカリと過ごす日々(なんてすばらしい)。そんな河野のもとに、ある日ファンタジーがやってくるところから小説は描かれている。けれど、物語がどこからはじまって、どこで終わるのかはよくわからない。
ニート』の中の「へたれ」に引用されていた「ごびらっふの独白」にあった

みんなの孤独が通じあふたしかな存在をほのぼの意識し、
うつらうつらの日を過ごすことは幸福である。

この、ほのぼの意識されている存在こそが、「ファンタジー」だったのかもしれない。