「イキガミ」 1巻〜3巻/間瀬元朗

イキガミ―魂揺さぶる究極極限ドラマ (1) (ヤングサンデーコミックス)

イキガミ―魂揺さぶる究極極限ドラマ (1) (ヤングサンデーコミックス)

「もし、あと一日しか生きられないとしたら」――
それを国民に考えさせることで「生命の価値」を再認識させる――
それがこの国の法律・「国家繁栄維持法」の目的である。
全国民が小学校入学時に受ける「国繁予防接種」…
その注射器に混入したナノカプセルにより、100人に1人の若者が18歳から24歳までのあらかじめ設定された日時に命を奪われる。
だが、その若者が自分の運命を知らされるのは、死のわずか24時間前。
死を告げる紙・「逝紙」を受け取った若者の多くは、絶望してもなお最後の一日を懸命に生きようとする。(三巻冒頭より)

設定が面白そうだ、と思って読んだのですが、なんだかちょっと曖昧な印象の作品でした。
「逝紙」の配達人を主人公に、彼が死を告げた人々の最後の24時間の物語が描かれていくのですが、読んでいると、結局、国家繁栄維持法は大して役立ってないように感じます。彼等は皆、「逝紙」が来るそのときまで、まさか自分が死ぬなんて思わずに生きていて、その最後の24時間のみ「死んだつもりで生きる」。そして死ぬ。
その法律が何か効力を発揮しているとしたら、「退廃思想を持つものはどうやら排除されるらしい」という風説(ほんとっぽい)という一点における恐怖政治です。だから、この作品は管理社会ものではあるけど、管理されてるのは「ナノカプセル」によってではない、ことによって、物語の印象が曖昧になるんじゃないだろうか。
第三巻では、主人公がこのように自問する。

こんな社会だから国繁が必要なのか、国繁があるからこんな社会になったのか――
その答えはわからない。
ただ、家族が殺しあうことすら珍しくなくなった今の社会において、命の主さを実感させる法的システムは、やはり必要なのかもしれない。
だか、そのシステムが現行の「国繁」だとはどうしても思えないのだが――
第3巻/p107

しかし、物語を読んでいて、「国繁」が何か社会に作用しているようには感じられない。それは今、私がいるここと何もかわらない。誰だって、ナノカプセルなんてなくたっていつ死ぬかわからないのだから。
物語で語られる「国家繁栄維持法」によって「死ぬ気で生きる」ことができた人々は、今のところ「逝紙」を手渡された人だけで、それはつまり、死の間際でなければ人は本気になれない、ということを物語っているようでもある。むしろ、死ぬことのヒロイズムを奉っている傾向は第二巻の「出征前夜」に顕著だ。

「自信を持って…胸を張って逝けよ」
第2巻/p177

冗談じゃないですよ! と思ってようやく、これは死を自らのものとして取り戻す物語になるのかもしれないと思った。というか、そうなってほしい。三巻の段階では、まだ主人公はどっちつかずの、むしろ死にたいして無頓着になりつつある立場なのでわからないけど。
でも、自殺願望のある若者が「生きたい」と言いながら「逝く」とかいうお話が描かれたらもう戻れないかもしれない…。

イキガミ 3 (ヤングサンデーコミックス)

イキガミ 3 (ヤングサンデーコミックス)

参考

紙屋研究所」さんの感想→(http://www1.odn.ne.jp/kamiya-ta/ikigami.html)でも触れられているように、星新一さんの『生活維持省』と設定が似てる。こういう設定ってほかにもあったような気がするので、ちょっと意識して探してみたい。