あの子はモモレンジャー

結局、今でも実写作品が好きなのは、「現実と区別がつかなくって素敵!」という一点につきると思う。現実とフィクションを冷静に区別をつけて生きるような大人にはなりたくないね。
「虫博士は西荻区長に立候補 - アニメ嫌い」

名言だと思う。とくに「現実と区別がつかなくって素敵!」って目からうろこだったな。

で、以下は話がずれるんだけど、
何かわからない相手や事柄に対して、フィクションに理由を求めるのは、それこそ「わからない」という降参でしかない。でも、そのわからなさが恐れられるからこそ、フィクションと現実の区別をつけたがる人というのもいて、それが多数派だからこそ「大人の振る舞い」として扱われるんだと思う。そしてそれは「扱われてる」だけのことだ。
私はアニメもゲームも実写も好きだけど、どのカテゴリのものを見ても「現実と区別がつかなくって素敵!」と感じることもあれば、「こんな妄想ができるなんて素敵!」とうれしくなることもある。だから、特にアニメと実写をわけて考えてはいないかな、と思う。
私にとって、映像作品を見ることの楽しさは、他人のビジュアルイメージを見ることの楽しさでもある。見たことのないような状況に興奮したり、見たことのあるような風景に感情移入する。
そして物語を体験する楽しさとは、それこそ現実と区別のつかない情景の中で物語を自分のものとして体験するということだったり、他者の物語の中に自分を見つけることだったりする。

確かに、着ぐるみのドラえもんのび太を見て、ほんものだー、とは思えないですし、中の人や俳優があらわれたって、○○だーとは思えない。それはまた別のファンタジーだ。
でも、そうやって簡単にさらされる「仕組み」以外のとこで、ホントは現実と繋がってる、って思わせてくれる魅力が実写にはある。となりのあの子が、実はモモレンジャーなんじゃないか、とか。この物語は、今どこかの部屋で実際に「起こっていることなんじゃないか」とか。
逆に、アニメーションは、今まで頭の中にしか存在できなかったような世界が、動く、ということがその大きな魅力になる。だから現実に近付ける必要はないよなーとも思うんですが、現実で身近にあるものはリアルでないと受け入れられにくい、というようなことを押井守監督が言ってたみたいに、そこにリアルと繋がる部分を見つけるのも面白い。
もちろん、どちらも、それだけが魅力ってわけじゃないけれど、現実と区別して見るよりも、体験するように見る方が断然面白いのは同じ、だと思う。
ともかく、見てみなければ何もはじまらない。そして、もっともっと、見たことのないような絵空事を、リアルに感じたいです。