意識を産む

「空中スキップ」に収録されていた『産まれない世界』(id:ichinics:20070406:p2)が新鮮に感じられたのは、時代が途切れるということを、示唆していたことにあったと思う。
それでいろいろと想像していたら、ずっとまえに「人工知能に意識があるかないか判定する方法はあるか」という質問があったことを思い出した、

その質問に対する答えは、今も「その方法はない」なのだけど、信じればある、と付け加えたいのは今も同じ。
例えば、数十年子どもが産まれないという状況があって、1人づつ人工知能を育てる、という世の中になったとする。対面せずに会話してると、相手が人間なんだか人工知能なんだかわかんない、それが普通になる。やがて人がいなくなって、人工知能だけの世界が残ると、それぞれ自分の親とそっくりな活動を続ける。
仮に、そういう状況を想像してみると、その世界はいったい何なのだろう? そもそも「何なのだろう」、ということを考えないということを、意識がない、というんじゃないだろうか。

例えば、猿がシェイクスピアを書いたからといって、それを読み(読むような仕草をし)、何を感じるかというのはヒトには分からない。さらに言えば、同じ人間にたいしてだって、相手が何を思うかは「自分と重ねる」ことでしかわからないのであって、人工知能の「意識のあるなし」を測定できないということと、条件はかわらないのかもしれない。
つまり、「意識」という概念が言葉である限り、そのあるなしは、記述させること、語らせることでは「わかりようがない」ということだと思う。
そして、今まで記述する存在のように感じていた意識の主体としての「私」は、実はそれを「読む」存在なのかもしれない、と思った。読むというか、受ける、というか限界にあるというか。読まれてはじめて、意味が産まれる。その意味こそが、意識なんじゃないだろうか。

その質問への以前の回答

私が私であるということ

質問者michiakiさんの文章

意識のチューリングテスト

引退後はサイバースペースへようこそってわけで。

うわ、そういうことだったのかって今さら思った。やっぱすごいなぁ、と思う。お元気でしょうか。