夢だけど、夢じゃなかった

昨晩、いつもより早く眠ってしまったせいか、今朝は目覚ましより早く自然と目が開いて、目が開いているのに、夢の中の楽しい気分を引きずっていた。
それからばたばたと出勤し、会社のPCを立ち上げて、でもやっぱりねむいな、なんてあくびをかみ殺しながら、今朝の夢は楽しかった、ということをぼんやり思い返していたら、ふとそれはほんとうだということに気が付いた。
その楽しい気分は、昨日の飲み会楽しかったな、とか思うときのそれとかわるところがない。逆に、悲しい夢を見たときの悲しい気分は、悲しい映画を見たときに感情移入しておこる悲しさとは少し違う。楽しさとは重なるところがあるかもしれないけれど、それは「楽しい」という気持ちの方が悲しいよりも体験に近いからなのではないかと思う。そして夢の中では、感情移入は、たぶんしない。したことがないような気がするから少し違う、と感じるだけで、感情があったというところではかわらない。
つまり、夢もまた体験だ、といえるんじゃないか。もっといえば、過ぎ去った過去は夢も現実もすべて等しく体験であって、感情というのはそれに付随しておこる、なにやらよくわからない現象のようなものなんじゃないか。
生活をしていると、感情こそが自分だと思うことがあるし、実際に感情によって動かされているような気がするのだけど、感情というのはそのように、自分から遠い夢のようなもので、それに動かされている私は、それを感じることができる唯一であり、しかしそれに関与することはできない。というより、それがおこることこそが、驚くべきことであるというか、ある、に触れることなのではないかと思ったりした。