会話

たとえば、

  • A「私はこの本がすき」
    • B「どういうところが?」
  • A「これこれこういうところが」
    • B「私はそう思わないな」

というような会話があったとする。
仮に、Aの意見がBの思う〈好き〉とかけはなれていたとしても、Aがその本を好きだと思った気持ちはちゃんと〈ある〉。そのことをわかったうえでBがそう指摘していたとしても、Aが、「自分の好きはBに理解されないんだ」とあきらめてしまったら、会話は終わってしまう。その内側には手が届かないんだよなあ、と、思い知らされることが、よくある。
かといって、「AにはAの思いがあるのだから、ここで自分の意見をいっても仕方ない」とBがそもそもの発言をするのをやめてしまったら、会話ははじまらない。

    • B「私はこう思うよ」
  • A「あ、私が間違っていたかも」

こういうとき、Aが本当に間違ってた、と思ったのか、Bに気を使って〈終わらせた〉のか、ってところも、たまに立ち止まってしまうことがある。AもAで、自分の「違ってたかも」という気持ちの表明が、Bに誤解されたら、と考えるかもしれない。そしてその誤解に、気づけないかもしれない。やっぱり手が届かない。
でも、そんなことを考えはじめたら、何もいえなくってしまう。だからたいていは、相手の言葉は額面どおり、素直に受け取ってマジレスすることが多い。でもほんとは、もっと気の利いたこと、いってみたい。楽しくしたい。くつろいでほしい、とか思う。
自分の言葉が、外に出したとたんに変質してしまうように、相手の言葉もまた、正確に理解することはできない、というのは正しいのかもしれない。
でも、例えばのように、意見があわなくても、もうちょっと会話を続けたいと思うときは、なんといえばいいんだろうか。それから、正しい答えにたどり着くことが目的じゃなくてさ、ただ話がしたいんだっていうとき。