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 もしもわたしがサトラレだったら

たぶんこれは多くの人がよく思うことなんだろうけど、自分の考えてることが、まわりの人に聞こえちゃってたらどうしよう…ということをよく考えます。
それはたぶん「サトラレ」という漫画の影響なんだと思う。あの作品を読む前は、満員電車とかで、この中にエスパー的な人がいたとしたら、今私が考えてること全部聞こえてるのかな? とかそういう妄想でした。
でもよく考えてみれば、他人の考えが「聞こえるひと」というのは、私の声だけじゃなく、まわりにいるたくさんのひとの声が聞こえてしまうのだろうから、そんなの騒音にしか感じられないだろうし、だからきっと耳を塞ぐ方法を知っているだろう、というところまで考えて安心していた。何も私の考えなんてよまないよね、っていう具合に。
でもサトラレはまずいです。私の勝手な妄想をまき散らしていたとしたら迷惑きわまりないし、たとえば好きな人とか嫌いな人とか、相手に対しても全部筒抜けなんですよね。そんなの恥ずかしすぎるし、いろいろ問題がある。
問題っていうのは、それが全部じゃないのに言い訳できないってこと。「サトラレ」は、筒抜けだからこそ嘘がつけない存在として描かれていたけれど、あのように言語化された思考っていうのは、きっとほんとは二次的なものだと思う。「あーこれいまいち…」と思ったりしても、いまいちの意味までは伝わらないし、その先聞いてもらえなかったら、それは例えば、ネット上にあげた文章を誤解されるのと同じようなものなんじゃないかな。手が届かない。
あ、でも私はサトラレじゃないし(たぶん)、大丈夫か…。なんて、あたりを見回すとき、きっとまわりに一人くらいは、同じことを考えてる人がいるんじゃないかなって思います。そして、そういう人に、今私の頭の中はこんなことでいっぱいなんだよって話を、してみたいな、なんて考えながら、今朝電車に乗っていました。