大は小を兼ねる事はおおいので大きいはいい、てのはほんとだろうか。

大きすぎたら分割すればいいし、足りてるのは安心だ。けれど、容器の方が大きいと、いつも足りない気持ちになってしまうのかもしれなくて、それじゃあ、小さなことで喜べるのは容器も小さいからなんだろうかというとこまで考えて、それは違うな、と思った。
小さいとわざわざ言うことは、たぶん「他の人からみたら小さいことだろうな」っていう、牽制のようなもので、いまそんなにうれしいのはきっと、それがじつは大きかったっていうことなんだと思う。だから、見つけたのはちいさい秋だと思ってるかもしれませんが、歌までつくってしまうその衝動があったのだから、それはちいさい秋であると同時に、おおきな秋でもあったってことですよ。あ、でもまだ秋は見つけたくないんですけどね(あとちょっとだけ待ってて!)。
だから、たいしたことないとか、つまんないはなしだとか、比較したりとか、やめて、メタの流れをさかのぼり、とりあえずうれしいと思った、その感じを、まあとっとけよ。と誰かがいったので、ひろい心を目指しつつも、時には蚤の心臓で跳ね回りたいと思います。ピース。