酔いざめの水

世界でいちばんおいしいのみものは、酔いざめの水だ、と思うことがある。朝5時すぎ、まだ日が昇る前の濁った空の下を歩きながら、追いかけてくるいくつもの朝を振払って、黙々と歩く、その手にポカリスエット、缶コーヒー、ヴォルヴィック、ネクター、のど元を滑り落ちる甘さや苦みや無味を、胸元で受け止めて思う、世界でいちばんおいしいのみものは、酔いざめの水だ、と。あるときは誰かと肩を並べながら、あるときは誰かの背中を眺めながら、またあるときは誰かと手を繋ぎながら、しかしそのほとんどはひとりで、足下に降り積もる言葉の切れ端を蹴散らし、緩んだ糸を引きずって歩く。歩きながら、その先に、あるものにいつまでもたどり着かなければいいのにと思う。何の疑いもなく、あと数分で朝がくることを信じて歩く、その足取りの無防備さが可笑しくて、立ち止まって耳をすまし、音の消える手触りを確認する。そこは気付けば橋の上、黒い鳥の行き交う川下の空がにじみ、いくつもの夜があっけなく終わる中、体に糸を通すみたいに、手もとのそれを飲み干し、世界でいちばんおいしいのみものは、酔いざめの水だ、と思う。