「休まずに手を抜かずにハマらないで」

「まあ」と笑いながら、もういろんなことにあきらめがついたかも、と久しぶりにあった幼なじみがいった。
細い路地の奥にある家のコタツに入って話す私たちの視線の先には、二つ並んだ布団があり、うっすらと上下するその毛布の中ではついさっきまで私のひざに座っていた2歳の男の子と、もうすっかりお姉さんになった7歳の女の子が熟睡している。歯磨きしてもらうために開けた口からのぞく、その小さな歯を私は懐かしいと思いながら見るけれど、私が重ねあわせているのは自分の妹や弟のそれであって、幼なじみにとっては、懐かしさとは結び付かない光景なんだなと、少し遅れて気付く。
そういえば私たちが出会ったのだって7歳とか、そのくらいだったよね。と何度も言い合っては笑うけれど、その記憶の確かさと、当時には想像もつかなかった今の自分たちとの間にある、漠然としたものを思い、やはりわたしたちは顔を見合わせて笑う。
転校してきた彼女に、はじめて話しかけたときの緊張が、いまここにつながるなんて、あの頃の私が知ったらどう思うだろうか? 「ここ」だけを見れば、「あたりまえじゃん」って笑うかもしれないけど、その前には中学が別々になったのをきっかけに、疎遠になった時期もあって、
「まあ」と息をのみ、いろんなことあったね、とお互いに合いの手をはさみながら、手の届かない過去のいろんなこと、よりも、むしろ目の前にある少し先に、手をのばすことを考えている。
そして、もしかしたら「もういろんなことにあきらめがついたかも」という幼なじみの言葉も、それに近いのではないか、と思ったりした。そこにあきらめ、という言葉を使うのは、照れ隠しみたいなもので、
0時近く、張り切って今年もがんばろーと、確認するように言い合って、手を振る。路地を曲がる時、振り返ると、まだ玄関口で彼女が手を振ってくれていて、そこから届く光は、くっきりと明るかった。