考える練習 

仕事はじめの一週間、てのはこんなにも長いものだったのか……なんて思う木曜日。だんだんと頭がまわらなくなってきたので準備運動がわりにダラ書きをしてみると、とその前に、このダラ書きという言葉は、なんかちょっとしっくりこないっていうか、まあ、だらだら書いてるから間違いではないんだけど、もっと他にいい言葉があるような……なんてぼんやり、した頭でぶつぶつ言っている昼下がり、ダラ書きでないと捕まらないくらいの、二枚重ねのをはがして一枚にしたティッシュみたいに薄く、ゆらゆら、ゆれたと思ったら溶けてくみたいな眠気の中、いま考えてるのは昼に食べたハッシュドポテトの味と、あとなんか遠くのこと。
例えば、こうして会社に、しばらくはやめないつもりで勤めるということは、そのしばらくの間は、長く休むこともないってことなんだな…とか考えるとちょっとびびる。夏休み(盆休みではなく)も春休みもないなんて、にわかには信じられない。信じたくない。学生終了してずいぶん経たけどもいまだに信じてない。だって子どもの頃は夏休みとかあったし、放課後もあったじゃん。なにそれ。学校めんどくせーとか言ってる場合じゃなかったよな…ごめん。ってまあ、めんどくさいことはそのほかにもあるけどさ。だから学生のみなさん(以下略)!
というわけで、お弁当を食べるとき、好きなものは満腹になるちょっと手前でいただきたい、もしくは二度にわけて山場を作ったりしたいタイプであるところの私は、人生の初期にだけ夏休みがある…っていうのはなんかちょっと違うんじゃないかと考えます。だから、ここはひとつ、人生における年齢っていうものをいっそシャッフルしてしまうっていうのはどうでしょう。今年20歳昨年80歳その次3歳とかで、毎年、暮れには除夜の鐘聞きながら「来年は何歳かなー」とか話すの。「次は小学生だー」とか「俺5年前の続きだわ」とか「久々に40代」とか「来年80代だから今年のうちに体力つけとかなきゃ」とか。「あいつ、50代以降コンプリートしてるらしいよ」とかさ、「ここんとこ中年が続いたから、来年からの幼稚園が楽しみだ」とか「そろそろ思春期やりたいなあ」とかさ。1年ごとでなくてもいいけど、一定周期でリセットされる…というのは楽しそうだ。けど、たとえば同級生として過ごせる時間も一定周期でリセットされちゃうのかな、なんて考えてみると寂しいからやだ。
ただ、そうやって肉体的な年齢だけがシャッフルされて、精神が連なっているのであれば、80代で中2マインド、とかありうるわけで……うーん、そうすると親が三歳児の時に子どもが赤ちゃんで50代とか、なんかいろいろ危ない(火の元とか)。だったら、例えば一時停止ボタンを押すことで、しばらくそのままの年齢でいられる機能とかあればいいんじゃないか、とか言ってみたけれど、んー、それじゃあまるで何かを再生してるみたいだな、年齢がチャプターになってるみたいな、って、いやいや今この瞬間より先の物語は記録されていないですから安心して下さい。そしてこれまでの記録も、あなたというHDの中にだけ保存されているのですから云々。というのは、なんかだまされてる気がするなあ。などという脳内会議を経てとりあえず一時停止ボタンはナシ。
でも、例えば記録された映像の再生を見る、ということにしたって、その続きを知らないのであればそれが記録してあるものだろうがなかろうが同じ事なんじゃないかな。重要なのは、そこに自分が関わる、たとえば咳払いひとつするにしても、場に影響を与える、ということではないのか、こう、波紋ていうのかな。吹く風の温度や光の加減、画面のなかのどこに焦点をあわせたのか、とかそういうことは体験の中にだけあり、それが単体のHDでは完結できない網目を形作る。
それはどこにあるんだろう?
というところで、とりあえずおしまい。