ネガティブハッピー・チェーンソーエッヂ

ichinics2008-02-01
この映画は、「最高のエンディングを求めている」という主人公のモノローグから始まる。何度も描きなおしては反芻される、甘美な「おしまい」の風景は、いまなら「セカイ系」とかそういう言葉でくくられるのかもしれない自分のための物語だ。私はそういう話がすごく好きだし、「最高のエンディングを求めている」ことに自覚的でありつつ、しかしその意味に対して無自覚に見える、主人公の描き方にも好感をもった。要するに身に覚えがありまくったので、この最初のシーンですっかりこの映画が気に入ってしまった。
主人公は、バイク事故で亡くなってしまった友人の「かっこよさ」に勝ちたいと思い、そのために最高のエンディング、例えば女の子を守って死ぬ、というような、「語られるべき」エンディングを願う。彼の「物語」に対する憧れと焦燥、でも「根性ない」自分に対する失望はとても丁寧に「軽く」描かれている。そして、主人公は謎の「チェインソー男」と戦う美少女と出会い、彼女を追いかけまわすようになるのだけど、ここでも少年と少女の気持ちのスピードのずれが、けして説明的にならず振る舞いから浮かび上がってくる。
物語の序盤では、彼にとっての世界は自分そのものであり、だからその少女の存在も、彼にとってはパーツのひとつでしかない。ポーズとしての共感をしてみても、彼女が何を考えているのかということで悩んだりはしない。彼女にとって必要な存在になるはずの「俺」を見ている。亡くなった友人についてもチェインソー男についてもそうだ。
しかしやがて、彼女にもまた物語があるのだということを知り、彼の世界は少しづつかわっていく。乱暴な言い方をすれば独我の世界から他我の世界へ、というような、この風景の変化こそが、青春じゃないですかと思う。
逆に、少女の側には、最初、彼が自分の物語を理解しないことに対する失望がある。しかしやがてその視線が自分へと向かい、期待するだけでなく、主体的に求める側にかわっていく。
そうやって二人とも、自分というコマもまた否応なく世界の内側にあるということを見つける。
ちょっと考え過ぎかもしれない。けど、そんなふうに気持ちの方向がバラバラだった二人が、だんだんと歩み寄っていく、確かな感触があるのがすばらしいと思った。
それでも、彼はきっとこれからも「最高のエンディング」を夢見て、不満を抱えながら生きるだろう。そして彼女が求める物語は、彼のそれとは異なっているだろう。それでも、できるだけ続けようと思う今に立ち止まる。
見終わった後すれちがった人が「俺にもチェインソー男がいたなあ」と言ってたのが、印象的でした。
映画館ガラガラだったのがもったいない。すごくいい映画だと思う。個人的には「キッズリターン」や「イゴールの約束」(id:ichinics:20051026:p1)「フリクリ」(id:ichinics:20070218)などの男の子青春ものとして推していきたいです!

参考

samurai_kung_fu さんのこちらのエントリ読んで見にいこうと思いました。感謝。
『青春の戦いは必ず敗北して終わる。「ネガティブハッピー・チェーンソーエッヂ」 - ゾンビ、カンフー、ロックンロール』