いつも途中

たぶん、考え事、というか、自問自答するときっていうのは基本的に問いと答えの間に誤解がないものなんだと思う。だから、そもそもの問いに、その問いの意味を問うこともなく答えを探している。答えるということは、単語ではなく、考えることなんだなと思う。
そんなわけで、私は答えを考えています。なんて、なんてねー、とか付け足したくなってしまう感じだけど、その照れ隠しのどこかで、答えをつけてしまったらおしまいのような気もしている。

でも、人と話をしている時の問いと答えの間には誤解もある。だからきっと(これまでに幾度も)私は、あさっての方向に答えを投げ返していたりもするんだろうけど、そういうのは自問自答じゃなかなかないことだし、そうやって、例えば自分の無意識とか、お決まりのパターンとか、考えが足りないとことか、そういうのに気付いたりするのは、面白い。面白いけれど、へこむこともあって、
なんでへこむのかなと思う。自分にがっかりするからだろうか。それともがっかりされるからだろうか。そのどちらでもなく、へこみたくないと思っている自分の弱腰に気付くからだろうか。
よくわからない。わからないことが多いと、つい言葉を継ぎ足したくなるけど、そんなときはどんな言葉も軽く、的を外れていることだけがわかる。

問いの意味を考えなくてもいいのは楽だ。
それでも、問いが重なっていることをなんとなく信じられるときの嬉しさが、答えようとする力になるのもほんとで、
わたしはたぶんそれを信じたくて、そしてできれば、信じてほしいと思っている。だからこそ、口を開きたくなるのかもしれない。
そんなことを、どこで耳に入ったのか、ぐるぐる離れなくなった「夢の中へ」を繰り返しながら考えていた。