昔話/マンモスホームセンター

昔、うちの近所に、金魚と植物を売ってるホームセンターみたいなのがあった。ふたつある入り口の左手側には、たくさんの金魚が泳いでいる池(というか大きな容器)が並んでいて、その奥には壁一面をぐるりと水槽にかこわれた部屋があった。お祭りなどで金魚すくいをしたあとは、よくここへ餌を買いにきたりもしたし、熱帯魚や海老や亀を見物しに行ったこともある。そういえば、うちの庭に埋めてある池も、たしかここで買ったやつだったと思う。池に放たれたまま行方不明になったと思われた金魚が数年後、池掃除の際に20センチはあろうかという巨大な魚に成長して現れたときは金魚の生命力すげーと思ったりもしたけれど、驚いて報告してみたら、母親はそんなこととっくに承知しており、しかもなぜか「ポラリスちゃん」などと名前を付けていたので私は長いこと「ポラリス」って「すごく/でかい」って意味だと思ってた…というのはまた別の話。

反対側の入り口は植物の種や苗や園芸用品を売っているお店に続いていて、その奥にはこぢんまりとした温室まであった。温室の中は生暖かかったけれど歩く隙間もないほどに植物が詰め込まれ、そのほとんどは枯れてるように見えた。
温室と金魚屋の間には、たぶん売り物ではなかったと思うんだけど、チャボやクジャクの小屋があり、だから敷地内どこにいてもチャボやクジャクの鳴き声が、 クケーッケッケッケ、クィー、クケーケッ とかそんな感じで聞こえていた。
そして、クジャク小屋の奥には、でかいガラス張りの箱があり、中にはなぜかマンモスの剥製(のレプリカ)が展示されていた。あれは確かに、マンモスだったな。
敷地内にはレストランもあった。それは子どもの頃の私の行動範囲内にある唯一の飲食店だったので、よく覚えている。白く塗られた壁が、なんていうか、すごく海っぽい店だった。
一度だけ、たぶん私がまだ小学校にあがったばかりの頃、その店に入ったことがある。客は私と母さんしかいなくて、店内にいる他の何人かは家族みたいだった。というか店内の半分はその人たちの生活空間になっていて、壁際にはビールケースとともに段ボール箱が積まれていた。のれんの向こうから、テレビの音が聞こえ、端のテーブルで書き物をしている男の子が、時折向こう側をのぞきこんだりしている。テーブルの上にはコイン式の球体おみくじがあって、わたしはそれをいじりながら、窓の外のマンモスを見ていた。どうしてわたし、ここにいるんだろう?

それから数年後、ある日突然、そのホームセンターはなくなっていた。金魚も、温室も、クジャクもチャボもぬるいオレンジジュース飲んだあの喫茶店も、マンモスも消えた。

幼い頃は、そういう「よくわからない場所」というのがあちこちにあったような気がする。でも有名な場所ならともかく、そういう場所ってある日、突然なくなってしまう。毎日見ている風景が、明日には変わってるかもしれないんだと考えると、どこもかしもこ見て回りたくなるし、もう壊さなくていいじゃんと思うこともたくさんあるんだけど、
せめて「○月○日に取り壊しが決定いたしましたので、それまでどうぞご自由に中を御覧下さい」みたいな期間があってもいいんじゃないか。
あのマンモスはどこからきて、どこにいったのだろう。今そこに何があるかを、思い出そうとしてもでてこない。毎日通っている道なのに、私の中のあの道には、いまこの瞬間にもマンモスが立っていて、どうしてわたしここにいるんだろう、と首を傾げている。ような気がする。もう一度、あの景色を見たいと思っても、もうないということが、唐突にかなしくなった。