メッセージ

ジェットコースターに乗ってる時とかに、「おかーさーん」って叫んだりするけど(というのが定型文になってるような気がするけど)、そこで思い描いている “お母さん” ていうのは私のお母さんではないような気がする、ということを今朝考えていた。
うちの母さんが頼りにならないという意味ではない。家ではよくお母さんに様々なフタを開けてもらったりしている。私はフタとかキャップとかを開けるのがとても苦手で、たぶん指の力がよわいのだと思うけど、特にコカコーラ社のペットボトルのキャップは堅いのでこまります。せっかく買った飲み物が開けられないこの切なさ…。キャップを開けられないままぬるくなって行くそうけんび茶…。かといって道を尋ねるときのように「すみません…このペットボトルをあけてもらえませんか」なんて声をかけるのははばかられるので、出先ではなるべくコカコーラ社のペッットボトルは買わないようにしています。でもそうけんび茶が好きなので、キャップが改良されたらいいのになぁと思ったりもしています。もしくはペットボトル開けが欲しい。
ともかく、そんなわけで、うちの母さんはもちろんフタ関連だけでなく、とても頼りになる母さんなのですが、しいて難点をあげるのならば、チャリンコ乗りながら歌うのはやめてほしい。腹からいい声ですぎなんです。ってそれもどうでもよくて、
とはいえジェットコースターの上でさけぶ「おかーさーん」があるとしたら、それはうちの母さんではなくて、もっと神頼み的ななにかだよなと思ったりした。というどうでもいいことをえんえんと考え続けてしまうくらい夏の私の頭は朦朧としている。
ところで今朝、なぜそんなことを考えだしたのかというと、母親から誕生祝いのメールをもらったのがきっかけだった。
それは、なんか色とか絵とか動くハートマークとかついてるメールで、出産予定日ギリギリまでお腹痛いのに家にいたのよねえって話や今年のオリンピックが云々て話があり、(話題があちこちに飛ぶのは遺伝のようなものです)

「ともかく、お誕生日おめでとう!ージを入力してください」

と、しめられていた。ージを入力してください。
一瞬なんのことかと思ったけど、理由がわかると、嬉しいような、可笑しいような曖昧な気分になった。すると、たてつづけに弟と妹からもメールが届き、
なぜかそこで、「おかーさーん」と叫びたい気分になったのだった。
それが神頼み的な何かなのかうちの頼りになる母さんのことなのかは、やっぱりよくわからないのだけど、まあみんな好きだよと思った話です。
どっとはらーい。