伯父のメモ

母方の伯父は、もう十年以上も日々の詳細な記録をとっているのだという。
先日、お見舞いで訪れた祖父の病室で、なにやらメモをとりだした伯父に、誰かがそれは何かと聞いた。すると伯父は、なんでもないことのように、しかしちょっと自慢げに「その日に食べたものや会った人、かかってきた電話や届いた手紙はぜんぶメモしてるんだ」と答えたのだった。伯父の持っているファイルはA4の二穴閉じ紙ファイルで、日記用紙は罫線まで手書きだったように見えた*1
私は正直、なんてめんどくさいことしてるんだろう…と思って聞いていたのだけど、たぶんこの凝り性なところが、勤勉な母方一族の共通点なのだと思う。ある日いきなり(に見えるだけなのだけど)中国語が堪能になっていた母にしても、いつのまにか(に、これも見えるだけ)画家として活動してた伯母にしても、とにかく毎日当たり前のように何かを続けている人たちなのだ。
私も、その勤勉さの一端を受け継ぎたかったなぁなどと思いながら日々漠然と過ごしているのだけど、とりあえず伯父と会った日については、それが何月何日の何時頃だったかまで、ちゃんと記録されているので安心だ。お見舞いの帰りに一緒にパン屋で買い食いしたことも、それがイカスミパンだったことも、学生時代にもらったお年玉の金額も、もしかしたら幼い頃、伯父の家に住んでた頃のことだって、そこには書かれているのかもしれなくて、つまり私のなかの「T伯父」タグはほとんどそこに集約されている、って言えるかもしれない。
でも、それだけ詳細なメモをとるっていうのはどういうことなんだろうか。
メモをとっている時間のこともメモするのかとか、メモするのが当たり前になってくると「メモしない」に意味が生まれるんじゃないかとか、メモのメモってもしかしてメモリーって意味…!? ってとこに辿り着いてついて、なんだかすごくゲシュタルトが構築*2されたような気分です。
ただ、この日記がわたしの一部であるように、伯父メモも伯父の一部であることはきっと確かなんだろうな。

*1:さすがに近づいては見なかったので、たぶんだけど

*2:なんて言い方あるのかな