チェンジリング


監督:クリント・イーストウッド
クリント・イーストウッドの最新監督作。行方不明になった息子を探し続ける母親のもとに、帰ってきた「息子」は別人だった…という、1928年のロサンゼルスで実際にあった事件をもとにした作品。
物語はここから、母親とロス市警の戦いにシフトしていくのだけど、彼女はあくまでも「警察と戦いたいのではなく、自分の息子をとりもどしたいだけ」と説明する。けれど、事件を解決したことにしたい警察に彼女の言葉は受け入れられない。

冒頭、母親が息子を学校へ送っていくシーンがあるのだけど、そこではバスを降りて校舎へ向かう息子を彼女は見ない。この時点での彼女は息子の存在を「あるもの」として安心しているからなのだと思うけど、息子が行方不明になってしまってからの彼女はずっと彼を探し続けている。あの視線が描かれているからこそ、彼女の悔いがより深く感じられ、本当に、丁寧な映画だと思った。
しかしこの映画でなにより恐ろしいのは、彼女にとってはあきらかである「この子どもは自分の息子ではない」という事実が、自分の言葉では証明できないということだと思う。
母親からしてみれば、自分の子どもかどうかなんてわかって「当たり前」なのだろうけれど(行方不明だった期間はたった五ヶ月なのだから)、背が低くなっているのに、顔も違うのに、「あなたは気が動転しているんですよ」のひとことで片付けられてしまう。
彼女が「息子を名乗る別人」に対して、あなたは知ってるんでしょう、と語りかける場面があるのだけど、これが例えば「私」が別人になってしまう物語だったらと思うと、それこそ手だては「自分」だけになってしまう。だからこそ、救いの手を差し伸べてくれる相手に対しても、信用していいのかどうか、彼女の表情にははっきりと疑いの色がある。
自分を自分と定義づけるものは何なのか、と考えたときにはじめて気づく、その不確かさを思うからこそ、この映画は恐ろしいのだと思う。
何を信用したらよいのか分からない状況で、最後まで自らの判断で行動し続ける主人公の姿はとても心強かった。
それと同時に、守るものがあるということが恐ろしくなったりもした。

見終わった後、映画の冒頭に、父親の話をするシーンがあったのを思い出した。「僕が嫌いだからいなくなったの?」と問う息子に対し、「あなたが生まれたときに一緒に届いた箱に入っていたものを恐れて出て行ったのよ。そこには責任というものが入っていたの」(大意)と説明するのだけど、このさりげない場面が彼女のキャラクターをうまく説明していたのだと思う。
それから、主人公を演じたアンジェリーナ・ジョリーがとにかくすばらしかった。ほとんどずっと涙を浮かべながら、目から力が消えないのがすごい。月並みな言葉ですが、ほんとうにきれいなひとだなあ、とかひたすら見とれてしまった。