曖昧な言葉

私は数学が苦手だ。算数から苦手だった。算数が苦手な理由としてはわりと一般的だと思うのだけど、その公式の成り立ちを理解しなきゃ信用できない、というところで立ち止まってしまったからだと思う。
それと同じように、国語のテストでよく出題された、作者の意図を書け、みたいな問題も苦手だった。私は基本的に、物語は読まれた時点で読み手のものになると思っているし、それは作者の伝えたいこととは異なる場合もあると思う。
でも、「作者の意図を書け」が嫌いな理由は、むしろその場にいない人の気持ちを誰かが代弁すること、あくまでも「そうであるかもしれない」可能性の話に、正解/不正解をだすことに抵抗があるからだ。

でもそれは自分の気持ちについても同じで、公式のような「形」にするために、その成り立ちについて考えようとすると、つい話がややこしくなって、どれも「そうであるかもしれない」なんじゃないかって気がしてくる。

けれど今日、「私の中のあなた」を見ていて、物語の筋とは関係ないんだけど、自分の気持ちを伝えるっていうのは、選ぶ言葉の問題じゃないんだなということを思った。
ただ、相手にもタイミングがあって、それがきちんと噛み合わなければ「伝える」ことはできない。
映画は、そのタイミングを待つ物語でもあった、と思う。

もちろん、それがうまくいかない場合だってたくさんあって、事柄の切実さにもよるけれど、まあいいか、と折り合いをつけてしまう方が楽だったりする。
たぶん、自分はそれが得意ではないなと思うし、いつでもやめられる日記だからこんなことを書いてるのだろうけど、
ただ、その言葉の正確さにこだわるのではなく、大事な話を、大事なんだとわかってもらえるだけでじゅうぶんだし、それは特別なことなんだなと思った。