母なる証明

監督:ポン・ジュノ

殺人事件の犯人として捕らえられてしまった息子の無実を証明しようとする母親の物語。
重力のある独特の画面と音楽がとても印象に残る作品でした。私は前作「グエムル 漢江の怪物」がとても好きなのですが、それとはまったくタイプの違う作品。監督の作品でいえば、「殺人の追憶」の方に印象が近いかと思います。
ただ、上記2作品は「好きな映画」なのに対して、この「物語」は「好き」とは言えないな…と思う作品でもありました。

映画を見ていて印象に残ったのは、時折差し挟まれる喜劇的な演出についてだった。その象徴的な場面が、立小便している息子の口に碗をあてがい薬を飲ませる場面だろう。息子が去ったあと、その小便に覆いをかぶせる、といった仕草が、この映画の行く末を示唆しているのだけど、個人的には、その喜劇的な視線こそが、この映画の奥行きであり、居心地の悪さでもあると感じた。
映画は、物語の中心となる、ある殺人事件を動力に、守るものがあることの強さと弱さ、さらに被害者であることと加害者であることの、境界線の曖昧さを行き来していたように思う。その揺れ方もまた、見ているこちら側の不安感を煽る。
特に、一見狂気ともとれるほどの息子に対する執着が、息子が思い出すある「記憶」によって示唆される瞬間にはぞっとした。
この場面、怪我で顔の半分がはれ、目つきがかわって見えることで、息子の顔にふたつの表情が同時にある。うまい演出だなあと思うとともに、映画の視線が物語の外側にある「再現」のような印象もあった。
そして、その「再現」の感触に触れるたび、この物語を嫌だなと思うのはなぜかと、問いかえされているような気分になった。
この映画の答え(のようなもの)に納得はできないけれど、だからと言って正解があるわけでもなく、そこにはただどんよりとした曖昧さがある。それについて考えるのは、なんだか床に落としてしまった豆腐を眺めているようで、途方に暮れる。

余談

  • 同じく「母親」を描いた作品として、見終わった後に思い浮かべたのが、青山真治監督の「サッドヴァケイション」だったのだけど、映画の終わり方も少し重なるところがあるのに、その「母親」像も、後味も、まったく異なっているのは面白いなと思う。
  • 韓国映画に出てくる警察は、ものすごく適当に見えることが多いけど実際はどうなんだろう。「これ鑑識まわす?」「いやいいっしょ」みたいな雑さは見ていて不安になるくらいだけど、軽快なやり取りは楽しくて好きです。
  • あと映画を見終わったあと、息子役の俳優のファンらしき女性たちが、もったいないとか*1母さんと寝てるシーンで手が触れてるのがどうのとか言ってて、映画の余韻がちょっと吹っ飛んだ。

*1:たぶん「かっこいい」役ではないからかな。個人的にはとてもいいキャスティングだと思った。