「新釈 走れメロス」/森見登美彦

新釈 走れメロス 他四篇 (祥伝社文庫 も 10-1)

新釈 走れメロス 他四篇 (祥伝社文庫 も 10-1)

先日「四畳半神話大系」アニメ化のことを書いて(id:ichinics:20100224:p2)森見登美彦さんの小説が読みたくなり、おすすめなど訊いたりしてこれを買いました。面白かった!
森見登美彦さんの小説は「夜は短し歩けよ乙女」しか読んだことなかったんだけど、この短編集もまた、京都を舞台に学生たちを描いた青春活劇といった趣で、お話も少し繋がっているようだった。
たぶん、舞城王太郎の福井や、伊坂幸太郎の仙台のように、森見登美彦さんにとっては、京都を描くのが自然なんだろうなと思う。
で、この「新釈 走れメロス」は、その名の通り、「走れメロス」をはじめとした “過去の名作を現代に置き換えた” 短編集になっている。
あとがきに

百人の人間が書き直せば、太宰治の「走れメロス」を中心にして、百人のメロスが百通りの方向へ駆け出すだろう。

と書かれているけれども、ここにあるそれぞれの短編もまた、元ネタこそ共有されるものの、作者にしか描けないたった一人のメロスで、とても楽しかった。もちろん、元になったお話を知らなくても、全く問題なく楽しめると思う。
特に気に入ったのは「山月記」。この短編集の主軸ともなる “一部関係者のみに勇名を馳せる孤高の学生” こと斎藤秀太郎の物語で、文章のことばかりを考えていた彼が、繋がらなくなってしまった言葉を前にする場面(p34〜36)にはぐっときてしまった。
あと、そう言えば、「夜は短し〜」の感想(id:ichinics:20070412:p1)に、今敏監督でアニメ化して欲しい、なんて書いていたけれど、この短編集でいえば「桜の森の満開の下」を、ぜひ今敏監督で見たい、と思いました。

ところで、森見登美彦さんの小説を読んでいると、ついついそのリズムがこちら側にもうつるようで、なんかちょっと、音楽に近いなと思う。でも、そういった言葉のリズムというのは、読み手にとってどの程度共有されるものなんだろう、というのを考えたりしています。
文章を書くときに、句読点次第で息苦しかったり気持ちよかったりするのは、音読しているからなのだろうか、とか。