文体って何だ

文章のリズム、とか文体のことを考えるとき、よく思い出すのは、以前、古川日出男さんがトークショーで「横書きで書きながら、別のブラウザで縦書きに変換しつつ書く」と話していたことだ。
そこまでこだわるということは、きっと明確に目指しているリズムというものがあるのだろうけれど、その目指すリズム、というのはどの程度意識的に作られるものなのだろう。
例えば歌を歌う人の個性は、声だけでなく、癖にもあると思う。物語が曲だとしたら、文体というのは、声に近いのか、それとも癖に近いのだろうか。

身近なもので考えてみると、日記の文というのは声に近いのかもなーと思うことがある。
自分の文章を読み返していると、口癖が多くて気になる。でもそれを変えるのが難しいのは、日記以外では使える書き言葉が、日記では使いづらいからなのかなと思う。例えば「〜だけど」というときに、「〜だが」と書きにくいのは、自分でそれを口に出すところが想定しにくいからだ。
「だ」は使っても「である」は使いにくいのもそう。感想文のまとめで突然「です、ます」になったりするのも、文章としての正しさよりも、自分の感覚に引き寄せて書くことの方を、日記では大事にしてしまうからだと思う。
句読点を打つのも、息継ぎに近いよなーなんて考えていて、それはキーボードを打ちながら、頭の中で書くことを声に出してるからなのかもなあと気づいた。
もちろん、物語と、日記という個人的なものを比較するのは違うと思う。けれど、日記でもやっぱり、その時々にイメージする形(自分にとって違和感のない形)に文章を収めようとしているところがある。
その「イメージ」を作るということも、できるとは思うけれど、それは歌や振り付けを覚えるとか、そういう身体的なことに近いんじゃないだろうか。

けれど、先に書いた古川日出男さんのトークショーで朗読をきいたときに、それが自分のイメージしていたテンポともまた違っていて、書くことと読むことは、また違うんだなと思ったりもしたので、
好きな文体、というのは、自分が(頭の中で)声に出して気持ちがよいもの、ということなのかもしれない。

例によって何を言ってるのかよくわからなくなってきたので、続きはまたあらためて。