餃子、水を差す、年末

友だちの家で念願の餃子パーティをした。買い込んだ餃子の皮を買い足すくらいの勢いで包みまくり、食べまくった。差し水をしたときのじゅうじゅうという豪勢な音は食欲をそそるよなあと思う。おなかいっぱいになった後は、ホラー映画を見て大笑いした。みんなであれこれ言いながらテレビをみるのは楽しい。居心地がよくてついついくつろいでしまい、日付が変わる頃になって解散。またやりたい。

夏が好きで、でもこれから冬だから、しばらくの間一時停止、なんて思考回路をもう何年繰り返しているんだろうかと思うときの感じは、呆れた、とも、飽きた、ともちょっと違う。自分で自分に「それまえもきいた」と言っているような感じ。なんてことをすっかり忘れて、ちょっと駆け足になったりするときもあるのだけど、せめてそういうときだけは水をささずに、自分が自分を放っておいてくれたらいいのになと思う。
世の中に絶対のことというのはすごく少ないので(ないとは思ってないけれど)判断しなくていいこともあるんだということを思い、半分のままの気持ちで電車に乗り込む。

もうすぐ今年が終わるというとちょっと信じられない気がするけれど、1年前のことを考えるともう何年も昔のことみたいだ。何年か後に今年のことをきかれたら、きっと夏ばかりの年だったと答えるだろう。ついこないだまで夏だったような気がしていて、その気分は今も続いている。