「ソーシャル・ネットワーク」

監督:デヴィッド・フィンチャー

とても面白かったです。
今現在活躍している人物がモデルということでいろんな見方のある映画だとは思うけれど、個人的にはこの主人公をわりと好ましく感じる映画で、その印象は最後まで変わりませんでした。
特に印象的なのは冒頭シーンで、恋人との噛み合わない会話から彼が人との会話の進め方が「うまくない」ことと、彼が実は「クラブ」というものにこだわっているらしい、ということを、とてもわかりやすく描いている。
物語は現在(訴訟中)と過去(開発中)を行き来しながら描かれ、主人公の心情が、言葉として描かれるシーンはほとんどないのだけど、弁護士の言葉で翻訳されることと、過去の映像とのずれ具合から、その間にあるものをうまく浮き彫りにしていたと思う。
たぶん、彼はとても正直で、非効率的なことが嫌いなのだと思う。そして、相手の気持ちを読み取るのが苦手なだけで、悪気はあまりなく、ただ「説明」するのが苦手なのだとも思う。圧倒的な天才であり得意分野の中にいるときは自信満々に輝きまくるその目が、時折、たぶん彼にとっては「非効率的」なことであるはずの、友人とのやりとりや元彼女への未練に対して揺れる様子にはとてもぐっときました。ショーンへ見せる憧れの目もよかった。あれは単純に自分の考えをツーカーで理解される喜びだったのだと思うのだけど(だからといってショーンを全肯定してはいないんだけど、それがエドゥアルドにはたぶん伝わっていない)、では誰に理解されたいのか、というところに彼はちゃんと思い当たったのだ、と思う。
「聞く気があるのか?」と問われて「宣誓したから正直に言うけど、ない」って答えるシーンとかすごく好きだ。そんな風に、自分にとっての優先順位がはっきりしているところが、問題も生むけれど、彼が魅力的にみえる一因でもあるのかなと思いました。
…という若干主人公に肩入れしがちな見方になってしまったけれど、もちろん周りの人の言い分にも正しいところもあるし、結局そういう人付き合いのややこしさ、曖昧さは残るところもいい。
ただ、アメリカの大学におけるクラブの重要性というものについては、全くといっていいほど知らなかったので想像で補っている部分も多いのだけど、たぶんあの地位(家柄?)に裏付けられる人脈とそれがステータスになるような文化が、映画で描かれているようなものなのだとしたら、FACEBOOK はきっと、その壁を打ち壊すものとして受け入れられたのではないか(そして主人公はそれをしたかったのではないか)、と思った。
その目的はともかく冒頭のプログラミングシーンはとても楽しかったし、まくし立てられる会話劇を聞いていて、英語が理解できたらもっと楽しいのになーと口惜しい気持ちにもなる映画でした。面白かった。