新しい本を読みはじめるときは、特に意識はしていなくても、もしかしたらこれは自分にとって重要な1冊になるかもしれない、という期待を持っている気がする。
とても面白いということと、重要というのは少し違っていて、重要のほうはなんというか、腑に落ちるところがあるという意味に近い。そして、この「ハーモニー」は自分にとってその両方がある本だったと思う。思う、っていうのはもう腑に落ちてしまったので、だから面白いのか小説として面白いのかよくわからなくなっているからなのだけど、でも、小説としてもとても好みだったのは確かだ。
21世紀後半〈大災禍〉と呼ばれる世界的な混乱を経て、人類は大規模な福祉厚生社会を築きあげていた。
この社会に暮らす人々は、大人になると体内に「WatchMe」と呼ばれるナノマシンを入れ、「生府」に健康(その他もろもろ)を監視されるようになる。
リソース意識。
人はその社会的感覚というか義務をそう呼ぶ。または公共的身体。あなたはこの世界にとって欠くべからざるリソースであることを常に意識しなさい、って。/p23
そして、そんなふうに「自分自身を自分以外の全員に人質として差し出すことで、安定と平和と慎み深さを保っている/p132」社会に疑問を感じていた3人の少女が自殺を試みる所から物語が始まります。
そこまでは、この先どうなるんだろう、と思いながらページをめくっていた。しかしやがて、たぶんこの設定は作者にとって描きたいことを描くためのお膳立てであって、本筋ではないのだとも思った。
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やがて成長した主人公は、ある「集団自殺事件」を調査しながら、この社会に対する絶望を治療しようとしていた研究に出会う。それがこの社会を完璧なものにする、というのはわかる。しかし、その完璧とはどういうことなのか、を導き出してしまうことになる父親と主人公の対話(p262)がとても面白かった。
そして、この物語が探ろうとしていたことはきっとここにあって、それはあとがきにもある
「人間の持っている感情とか思考っていうものが、生物としての進化の産物でしかないっていう認識までいったところから見えてくるもの。その次の言葉があるのか、っていうあたりを探っている。」/p374
ということなのだと思う。
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先日、知人と話していて「内臓の写真を見られたとしても、それほど恥ずかしい感じがしないのはなぜだろう」という話になった。それはたぶん他人と比較する機会がほとんどないからだと思う。では比較する機会があるものが「恥ずかしい」を伴うような気がするのはなんでなのか、とか、例えばそんな風に考えていることの基にこれがあるのかもしれない、と考えると、なんだか少しぞっとして、少し気持ちがいい。
この物語の結末は、「夢」に似ているんじゃないだろうか。感情や思考の有無ではなく、「夢」を見ているときの「後で思い出す」ことを意識しない状態、というのが近い気がするんだけど、でもそれはどういうことか、まだちょっと考えている。
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解説にあるインタビューもとてもよかった。特に、小説は一人称でないと、という言葉を読んで、この人は信頼できるなと思った。
この物語と繋がっているらしい「虐殺器官」はまだ未読なのでそれを読んだらまだ考える。けど、この続きがもう読めないっていうのはとてもさみしいです。
- 作者: 伊藤計劃
- 出版社/メーカー: 早川書房
- 発売日: 2010/12/08
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