小豆、船、眼鏡

最近小豆にはまっている。
あんこってこんなにおいしかったかなあ、ということを幾度も確認したくなり、あずき入りのアイス、ドラやき、あんぱんなど、食べるたびに、やっぱりおいしいなあと思う。
甘いものはほっとする、ってよく言うけれど、そのなかでもあんこのほっと具合はかなりのものだと思う。ちなみにつぶあんが好きです。

ここ数日、自分が避けたいと感じることは何だろう、ということを考えていて、それはたぶん、ひとはおおむね、相手に信頼されようと振舞う(その信頼の形は様々だし、振舞うことが「建前」だとしても)ものだ、ということを自分は前提にしていたくて、それができなくなることが、こわいんじゃないかなと思った。
その言葉に感情をともなっているかどうかは、とりあえず問題ではないし、関係性のことでもない。ただ、自分はそれを前提にすることで、自分の見ている社会を信頼しているし、自分がそれを前提にできているかをたびたび確認しつづけたいんだと思う。
なんか、ちょっと違う気もするけれど、ともかく、そういうことを改めて考えているのは自分でも少し意外だった。

ここのところ考えていることを、言葉にするのが難しいなと思うことが多くて、何か話そうと口を開いたまま、ぼんやりしてしまう。でもしばらくはそれでいいとも思う。
花粉なのか、最近自転車に乗ってると目がごろごろして、でも眼鏡をかけてるとごろごろしない! ということを今日発見しました。帰宅して眼鏡を拭くと、うっすら黄色かった。