罪悪感のとなり

久しぶりだなと感じるたびに、前会ったのが、地震の前だったか後だったか、をつい考えてしまうようになった。だから久しぶりに会った彼女が、そのことに気づかなかった、と言ったとき、少し意外に思っていた。
まあ連絡はとっていたし、そんなものかもしれない。「でもすごく、長いこと会わなかったような感じがする」と私は言った。彼女は軽く頷いただけだったけれど、
お互いの近況をぐるっと巡ってやっと、「実はね」と居住まいをただしたとき、やはり気づいてはいたんだろうな、と思った。

なんとなく、罪悪感を感じると彼女は言った。スーパーには相変わらずものが溢れているし、電気はつかうし、そんなの前からだけど、その前からに戻っていることに。自分のやっている仕事に。ごはんを食べたり、笑うたびに。
そう話す顔がなんだか疲れて見えて、自分の生活は大事だよ、と私は言った。われながら無難な言葉だなと思うけれど、正直な気持ちだった。でも彼女はあいまいな顔で首をかしげる。

何 年か前、「罪悪感」というものについていろいろ考えていたとき、私はひとまず “罪悪感は役に立たない” と結論したのだけど、それは「罪悪感を感じ たくないのでできることをする」か「できることをしないで罪悪感を感じる」か、どちらを選ぶのも自分でできることだと思ったからだった。
でもそれ は自分の罪悪感対処法でしかなくて、彼女の話している「罪悪感」は、私にはないものだった。私はいま、罪悪感を感じてはいない。なぜか、というところを否応なく考えることになって、 私はあこがれといらだちが入り混じるような、変な気分になっていた。そんな私の沈黙を見て、彼女はすまなさそうな顔をする。
正解も不正解もないことは思っている以上に多い。ただ、常に何かを選んでいて、私は今のところ、これに落ち着いているのだなと思う。「とりあえず私は、こうして久しぶりに会えてるのは嬉しいと思ってる」、と言うと彼女は少しほっとした顔をして、それは私もそうだよ、と言った。