「あなたのための物語」/長谷敏司

あなたのための物語 (ハヤカワ文庫JA)

あなたのための物語 (ハヤカワ文庫JA)

とてもよかったです。SFというジャンルの、とくにイーガンの作品などは「考えてみる」ことに近いと思うのだけど、この『あなたのための物語』は、物語を通して考えることがいつのまにか読者にとっての「物語」を考えることに繋がるようなお話だと感じました。

〈“物語”の技術とは、「言語から解放される一瞬」を、どう作り出すかの方法論だと思うのです。〉p379

物語は、ITP という「人工神経制御言語」の開発者、サマンサと、ITP テキストによって記述されている人工知能≪wanna be≫の関わりを中心に描かれています。
ITP とは『記述者の「悲しい」を完全に伝達する』『人間に感覚し得る世界すべてを編集、整理、共有できる』技術として描かれていて、例えばイーガンの『移相夢』などと近い設定の物語だと思います。
ただ、『あなたのための物語』はそれによって人の自我のありかなどが問われる思考実験の側面よりも、その設定の上で描かれる人の感情の方に重心があると感じました。
物語の序盤で、主人公のサマンサは不治の病に侵されていることがわかる。つまり言葉によって隔てられていた「個人」の境目が曖昧になるであろう未来を目の前に、サマンサは死という「一回性」と向かい合うことになる。序文で結末はわかっているため、読者はサマンサがその葛藤と苦痛と無念からどうにかして、浮かび上がろうともがく道のりを、息をのんで見つめ続けることになる。
決して明るい物語ではないのだけど、そこまでの道のりを振り返るような終盤の会話を読んで、私はこの物語を手にとってよかったと思いました。

この物語を読むきっかけになった「地には豊穣」*1を改めて読み返してみようと思います。