アンドロイド演劇「三人姉妹」

大阪大学 石黒浩教授のアンドロイド「ジェミノイドF」が登場する、平田オリザ作・演出/青年団「アンドロイド版三人姉妹」を見に行ってきました。
ジェミノイドFは以前デパートでの展示を見たことがあって、そのときの感覚が忘れられず、ぜひまた見たいと思っていたのでいいチャンスでした。(やってることを教えていただいたmichiakiさんの感想はこちら→ http://d.hatena.ne.jp/./michiaki/20121021/1350829727

お話のもとになっている「三人姉妹」は読んだことがないのですが、この作品は翻案であって原作とはかなり設定が異なっているそうです。
どうやら各家庭にロボットがいるのが当たり前の時代で、三姉妹は既に亡くなっているロボット研究者の娘であること。そして三女はアンドロイドであることが、物語の序盤でごく自然にわかってきます。突飛にも感じる設定を会話の中で自然に提示していくのがうまいなーと思いました。
家庭用ロボットはロボビーR3、三女のアンドロイドを演じているのがアンドロイドのジェミノイドFです。つまりアンドロイドがアンドロイドの役を演じているのですが、彼女は「人間だった妹」の脳の動きをトレースして発話するアンドロイドなわけです。
ロボビーについては見た目もかわいらしいロボットであるため、「そういうものだ」として受け取りやすいのか、観客の反応もかなり良くてわたしもロボビー登場シーンはかなり楽しんでみました。
しかしジェミノイドFについては、アンドロイドらしさをみるか、アンドロイドの中に元となった人間らしさを見るか、物語のなかの登場人物も手探りでいるように感じるところがありました。
これは、以前石黒教授が作った子どものアンドロイドを見た子どもがすごく怖がったというエピソードに近いと思います。

ロボットが動くと、「動いた」と喜ばれるが、それが人間だと思って見てしまうと、とたんに違いが際立って人は変な感じを抱くのだという。そのために、見かけと動きの問題が工学的な目標となった
http://rikunabi-next.yahoo.co.jp/tech/docs/ct_s03600.jsp?p=000923

石黒教授は、ヒトは「相手が心を持っていると信じることができる生き物である」と定義して、「見かけにこだわって」アンドロイドを作っている人です。
この定義に私はすごく興味があって、以前デパートでジェミノイドFを見たときは、その表情を間近で見ることができたせいか、心がある、と感じるところにすごく近づいた感じがしたんです。
そのときに比べると今回の演劇での仕草は「アンドロイドっぽい」と感じる部分が多かったんですが、でもそれは演出意図でもあるのだと思います(アンドロイドの役だから)。
そのあたりを終演後の質疑応答で聞いてみたかったのですが、考えてるうちに終わってしまいました…。
役者さんたちもすごくうまくて、たくさん笑ったし、ハラハラするような掛け合いもあってとても楽しかったです。あのようにアンドロイドと演技をするのはどんな気持ちがするのか、それも聞いてみたかった。
ただ、途中セリフででてくる「あなた(人間だった三女)らしくない」ということを、どうにか観客の側もあらかじめ感じられるようなところがあってもいいのかなと思うところもありました。

もしも自分の目の前に、自分の身近な人のアンドロイドがいたとしたら、そのアンドロイドに心があるかどうかを自分は何で判断するんだろう。会話か、仕草か、記憶か。また別のものか。体がふたつある場合はどうか。など、いろいろ考えながら見るのも面白かったです。
とりあえず、「三人姉妹」を読んでみて、このアンドロイド版とどう違うのかも確認してみたいと思っています。

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以前デパートでの展示を見に行ったときの日記
アンドロイドの女の子 - イチニクス遊覧日記