つくしとたんぽぽ

起きたら春になっていたらいいのになと思う。
春の土のやわらかさ、日向のにおい、しっとりした花びらの重さ。幼稚園のころ、帰り新津も通る川沿いの土手にはたくさんつくしが生えていた。つくしは春の代名詞のようによくもてはやされているけれど、たくさん生えているのはちょっと気持ち悪かった。気持ち悪いといえばたんぽぽのくきからでてくる白い液体で、子どものころはあれが黄色と赤の入れ物に入った、あのボンドの元になると思っていた。母親がそういっていたのだ。
たぶん適当にあしらうためにいったことなのだと思うけれど、そういった適当な嘘をなぜか信じ込んでしまうということはあって、自分もいくつか適当な嘘をついたことはあるし、どこかで誰かがそれを信じているかもしれないなと思う。
本気で信じるということは、真実とすごく近い。ということは起きたら春だということをあっさり信じることができたら、明日は春ということもあるんじゃないだろうか。そして生白いつくしを摘みながら「つくしってたくさん生えているとちょっと気持ち悪い」と思ったりするのだ。