記憶の1月

今年の1月は長かった。お正月もあったし、大雪もふったし、友だちの家で鍋もした。風邪をひいたり、初詣に行ったり、映画も何本か見たし、一喜一憂することもあった。やっと2月か、1月は長かったな…と考えていて、そんな風に思い出すことが多いほど時間というのは振り返ったときに長く感じるものなのかもしれないなと思った。
楽しい時はあっという間という言葉もあるけれど、それは「時間に気づかないほど集中していた」とか「もっと長くそれを続けたかった」という名残惜しさからくるもので、しばらく時間が経ってみればその「あっという間な楽しい時」は退屈に過ごしている時間よりずっと、長く感じるのではないだろうか。もちろん、いいことだけでなく、長く感じたしんどい思い出だって、時間が経ってもなお長かったなあと思い起こされたりするので、つまりフォルダ内に保存されているデータの量によって、時間の長さの感覚も決まるってことなんじゃないだろうか。
そう考えてみれば、見るものすべてが目新しい子どもの頃の1年がとても長かったことには納得がいく。素材がたくさんあるから、ネット上の地図を拡大するときみたいに、収納されている記憶に近づくほどに細かく、詳しく見えるようになる。
逆に似たような記憶をまとめて管理することで、データは軽くなり操作しやすくなったりするのかもしれなくて、だからどちらがいいということではないんだけど、今年の1月は長かったし、楽しかったです。