「ザ・マスター」

PTA新作というわけで大変楽しみにしていたのですがやっと見に行ってきました。

元水兵でアルコール中毒のフレディ(ホアキン・フェニックス)は、帰還後も酒が原因で様々なトラブルを引き起こし、自暴自棄な生活を送っていた。そんな中、忍び込んだ客船の中で「ザ・コーズ」という新興宗教団体の教祖(マスター)、ランカスター(フォリップ・シーモア・ホフマン)に出会う…というお話。
この「ザ・コーズ」というのは、肉体的、精神的病の原因(cause)を、探って行くカウンセリングみたいなものを活動の中心にしていて、現実にある新興宗教をモデルにしているそうです。宗教(ザ・コーズ自体は宗教団体ではないって言ってたけど)が医療行為を行うとなると、そりゃそうなるよね、って想像つくようなトラブルが多々起こるんだけど、それと同時に問題児のフレディを受け入れてしまうマスターは一見、すごく人格者のようにも見えるし、原因という「理由」を求める人には魅力的な場なのかもしれないと思う。
しかしフレディの場合は、ランカスターの言葉を信じるというよりも、ランカスターの言葉を信じたいと思って彼の傍にいるように見えました。獄中でのランカスターの言葉が頭に血が上った彼をなだめたように、フレディは自らをつなぎ止めるものが欲しかっただけなのではないかと思います。だから彼の修行も結局はランカスターのためであって、フレディ自身が「よくなる」ためではなかった。
しかしフレディとランカスターの関係が近くなっていくにつれ、彼らはほとんど同じ資質を持った人間なのではないかということが浮かび上がってくるように思いました。
やがてランカスターの言葉を素直に受け入れることができなくなってしまったフレディは、やがて、ぎりぎりまで迷いつつも、ランカスターの元を離れる。自分が決めた目標に向かってバイクで全力疾走する「目標設定ゲーム(だったかな)」の途中のことで、その後の展開を思うと、もしかすると「目標」を長年実現できなかった、かつての恋人のもとへ帰ることとしたからなのかもしれないけど、ともかく彼は「ザ・コーズ」とお別れする。

一度見た限りではそう解釈するのが正解なのかどうか分からない映画だった。でも人生というのは、何が原因でそうなったかなんて分からないことだらけなんじゃないかなと思うし、フレディの抱える寄る辺無さは、結局彼自身が抱えるしかないのだということを思ったりしました。
そして、とにかくホアキン・フェニックスが強烈でした。腰の悪そうな姿勢、キレる寸前の目、おでこの皺。自分自身を持て余している1人の人物とこの映画はすごく似ているように思う。

それからなんといっても、ジョニー・グリーンウッドの音楽がすばらしかったです。前作「ゼア・ウィル・ビー・ブラッド」の時もすごくよかったけど、今回も冒頭からぞくぞくする音楽だった。