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 華麗なるギャツビー

スコット・フィッツジェラルドの原作の「グレート・ギャツビー」を読んだのは3回。読んだきっかけは村上春樹だったし、最も気に入っているのも村上春樹訳の「グレート・ギャツビー」です。村上春樹訳のギャツビーについては以前も感想を書いたけれど、今も印象は変わっていない。
http://d.hatena.ne.jp/ichinics/20061211/p1
今回の映画化はキャスティングを知ったときからとても楽しみにしていて、実際画面を見てもやはりこのキャスティングはとても心地よいと思いました。ニックに関してはもう少し腹に一物あるような人物を思い浮かべていたので、人の良さそうなトビーの表情はイメージとは異なるのだけど、しかしトビーだからこそあのお茶会の場面がたいへんキュートなものになったとも思うのでこれはこれで新たなニックだったと思う。
ディカプリオさんのギャツビーは、とにかくあの初登場シーンの華やかな笑顔とお茶会シーンの余裕のひとかけらも無い表情、そして終盤の怒りに文字通り震えているシーンのコントラストが強烈だった。しかしこれは(原作もそうだった気はするけれど)デイジーと2人でいる場面があまり印象に残らなかったのは残念。「ロミオ+ジュリエット」のときのディカプリオさんならそっち側だった気がするので、ちょっと「ジャンゴ」のキャンディのイメージが残ってるのかもしれない。
かわいいお茶会シーンの他には、ニックが久しぶりにデイジーに再会するカーテンの場面が印象的だった。あそこだけは、自分が原作を読んで想像していたとおりだと思ったし、だからこそ私は初めて読んだ時、ニックはデイジーが好きなんだと勘違いしていたのを思い出したりしました。
女性陣の衣装もほんとかわいかったなー。

しかし、予想外に気になってしまったのはパーティーシーンです。バズ・ラーマン監督という意味ではイメージ通りだったんだけど、やっぱりちょっと非現実的というか、あんなに散らかして片付けてを毎週やるとか無理だろう…ということばっかり気になってしまいました。もうちょっと白昼夢っぽかったりしたらファンタジーとして見れたのかもしれないけど、ちゃんと片付ける人も描かれていたし、あの人手で足りるのかな?どこかに空いたグラスとか転がったままになっちゃわないかな!とか小市民的なことばかり考えてしまって落ち着かなくてね…。ギャツビーさんが使用人全員解雇した(キリッ)みたいなこと言ったとき、もうパーテォーできないねって思っちゃうくらいには本筋から頭が脱線してた。

そんな具合に楽しんで見たものの、「グレート・ギャツビー」の物語の肝心な部分(だと私が思っている)切なさや、糸が切れた凧のような終盤の展開があまり印象に残らなくて、この原作とバズ・ラーマンはあわないんじゃないかなとも思いました。