記憶の伏線回収

金曜日、見たい映画が有楽町でやっているということに気づいたとき、真っ先に思いついたのは、先日行って様々な地方のアンテナショップで買い物をしたのが楽しかった「交通会館」に寄ってから見に行こうということだったのだけど、仕事が終わってから有楽町に向かって7時半、すでにどのアンテナショップも閉店していて、たいへん残念な気持ちで映画館に向かったので、7時半では間に合わない、ということを覚えておきたいと思います。

交通会館にはおいしそうなものがたくさんあってほんとうに楽しかった。おいしそうなものを買うことは、買っているときも家に帰ってからも、うれしくて楽しいので最高だと思う。
初めて行ったのは今年の夏で、高校時代の友人と一緒だった。彼女のお腹にはいま赤ちゃんがいて、水天宮で安産の祈祷をしてもらい、あちこち観光、買い物をしてから、同じく同級生の実家に遊びに行ったのだった。
彼女とは高校時代からずっと、趣味は全く合わないのに、会えば飽きずに何時間でも喋ることができた。その日も朝から夜まで喋り続けていたのだけど、何を喋ったのかはよく覚えていない。麦茶がおいしいとか暑いとか、でもいい天気でよかった云々と、思い出話。特に話題はなくても、共通の思い出が積み重なっていくごとに、その思い出について語るだけで、何時間もすぎていくようになるのだなと、年をとるとはそういうことなのかもしれないなと最近よく思う。

先日、実家に置いてある自分の荷物を片付けていたときに、高校時代の合宿で彼女と作った掲示物がでてきて、写真をメールで送ったことがあった。私はよく覚えていなかったのだけど、私と彼女が仲良くなったのは、その掲示物の制作がきっかけだったのだという。
それは進路選択に向けて、自分の興味がある仕事について調べて発表するための掲示物で、私も彼女も、結局その頃思い描いていた将来とはまた少し違うところにいる。
ただ、水天宮でまるで彼女の姉か妹のように、背後に立って一緒に祈祷を受けたあの時間のことを、これから先、長い長い会話の中で繰り返し話すことになるのだろうし、それもまた、なかなか素敵な将来なのではないかと思った。