『LEGO® ムービー』/かけなかった似顔絵のこと


監督:フィル・ロード/クリストファー・ミラー
レゴのキャラクターが動くだけでなくレゴでできた世界が動いている、というのはもちろん初めて見る映像で、ちょっとおそろしいくらいの迫力だった。情報量があまりにも多くて、今回は2D吹替え版を見に行ったのだけど、もしこれが3D字幕版だったらきっと画面に目がおいつかなかっただろうなと感じ、見終わったあとは正直ぐったりもしてしまったのだけど、それでもなんとなく、自分がこの映画に対して感じたことをうまく言葉にできずにいるのは気になっていた。なのでいまさらではあるけどそのとき思ったことを書いてみたいと思う。映画のネタばれはしないつもり。

私はレゴで遊んだことがほとんどなくて、子どもの頃、ネコの人形(ミニフィグというのを今回知った/ユニキャットじゃない)を持っていたくらいだけど、それもほんとにレゴの製品だったのかよくわからない。弟や妹もレゴはあまりやらなかったと思う。上の弟は圧倒的プラレール派だった。そんなわけで自分にとってのレゴ的原風景がない私が、この映画を見て思い出したのは、小学校のときの「似顔絵」だった。
LEGO® ムービー』の主人公はミニフィグのエメット。作業員として働き、マニュアル通りに行動する没個性的なキャラクターとして登場する。しかしそんな彼がある日突然「選ばれし者」であるとされてさあ大変…と物語が幕をあけるわけだけど、でも子どもの頃に(例えばレゴなどを使って)思い描く世界ってそんな風に、あらかじめあるヒーローやヒロインなどのキャラクターがいる所に、自分が「入る」ことが多いんだろうなと思った。
そしてこの作品の重要なテーマのひとつとして、エメット(マニュアル通りの男)を、箱に描いてある完成図(マニュアル)通りに作り上げることと重ねて描き、独創的に自由にブロックを組み立てることとの比較を描くことがあったと思う。
もちろん、映画はそのどちらも肯定していたと思うけれど、ただ私はそれを見ながら、たとえ自分の頭が子どもの頃ほどに柔軟だったとしても、箱に描いてある絵を優先しそうだなということを考えていた。

小学生時代の頃、詳細は忘れたけれど、学校内の行事で先生全員の「似顔絵」が必要になり、各先生に対して1人ずつ、似顔絵を描く生徒が選ばれたことがあった。絵を描くのがちょっとだけうまいとされていた私は、ありがたいことにクラスの推薦を受けて代表に選ばれたのだけど、
私がうまかったのは、マンガやゲームのキャラクターを見て、その通りのポーズを描くという模写であって(それもそんなにうまかったわけじゃない)、似顔絵なんて描いたことはなかった。
代表が集まって似顔絵を描くことになった放課後。私1人だけ画用紙はずっと白紙のままで、ちょっと鉛筆をつかってみても、大きな画用紙にちっちゃくしか描く勇気がないというていたらくだった。そして何人かがほとんど下絵を完成させた頃、塾の時間になっても帰宅しない私を心配して母親が学校へ迎えにきて、結局私は似顔絵役を放棄して、絵だけでなく字も個性的でとてもうまかった、名前忘れちゃったけど眼鏡の男の子に自分の分の似顔絵もお願いして、塾へ連れていかれた。
代表に選ばれたのはとても嬉しかったけど、自分には自分の力で絵をつくる力がないんだなと気づかされた出来事でもあったし、まかされたことを途中でやめてしまった(でも残ってもきっと描けなかった)のもショックだった。

私が、「選ばれし者」と持ち上げられた後に「マニュアル通り」と落とされるエメットを見て思い出したのはそんな思い出だった。大人になった今では、マニュアル通りにも確かに利点はあると思えるし、似顔絵は未だに描けないけれども、まあある程度得意だと思えることもできた。そして、このお話が私の思い描いていたような“才能”とは少し違うところに着地するのは、レゴというおもちゃをモチーフにした映画として理想的だと思う。
でもやっぱりわたしはマスター・ビルダー達、とくに生き生きと宇宙船を組み立ててみせるベニーにあこがれるなと思って見ていたし、今もやっぱりそう思っている。
あのときの似顔絵を、今なら放棄しないだろうと思うけど、でも私はベニーではない。あっちのおしごと社長はあの後どう過ごすのだろうか、ということがまだ気になっている。

そんなわけで長々と描いた思い出にこの映画との関連性があるわけじゃないのだけど、自分の中にひっかかったポイントがそこだったということで、きっと見る人それぞれにぐっとくるポイントがある映画なんじゃないかと思う。
レゴ好きだったらきっと何倍も楽しかっただろうな〜という点だけとても残念だけど、知らなくても全然楽しめるので、おすすめです! す〜べてはサイコー!