走った日の日記

ジム通いはまだなんとか続いている。とはいえ週1以下のペースなので、痩せたり体力がついたりといった効果はあまり感じないのだけど、走っている間に聴くために、買ったCDをiTunesにいれるスピードは確実に早くなった。
ランニングマシンで走るのはたぶん地面を走るより楽で、たまに、このまま1時間くらい続けて走れそう、なんて思うこともある。だいたいは10分くらいしか続かないのだけど、そういうときの足の軽さはすごく気持ちがいい。
小学生の頃にもそんなことがあった。近所にある細い道で夕方、自転車で走るHちゃんを走って追いかけていた。どこかにいった帰り道だったのか、細かいことは覚えていないのだけど、自転車で走るHちゃんの後姿と、畑を囲む背丈くらいの生垣から漏れる夕方の光の感じは今もよく覚えている。あまり運動が好きではなかった私が、体育の授業でもないのに走る、というのは珍しいことだったのだけど、そのときはなぜかまったく息切れもせず、走るのって気持ちがいい、と思ったのだった。
当時は毎日日記を書いて担任に提出しスタンプを押してもらう、というのが習慣で、その日の日記はたくさんはなまるがもらえたのも嬉しかった。
ジムに行った帰り道はよくそのときのことを思い出す。そんな風に「何かを思い出す」ということは年々増え、そのうち毎日記憶の再生だけして生きるようになるのではないかなんて考えたりもする。でも思い出される記憶の多くは他愛もない一瞬のことだったりして、記憶に付箋がたつ基準というのは不思議なものだなとも思う。
ただ、その走っていただけの思い出のように、日記をかくということで付箋を立てることはできるんじゃないかなとも思う。