キュン死

キュン死っていう言葉があるじゃないですか。じゃないですか、って「じゃないですか話法」とか揶揄されることが多いような気がするけれど、脈絡もなく話を切り出したいとき他に何と言えばいいのかよくわからない。でもとにかくキュン死という言葉がある。それはたぶん昔で言えば「胸が痛い」とかそういうことなんだけど、キュン死の場合は、偶像的な、直接相対するものではないものに向けられることが多いように思う。二次元だったり、アイドルだったり、町でみかけた出来事だったり、曲のワンフレーズだったり、いろいろ。でもその、胸倉をつかまれるような気持ちというのは、別に直接相対する何かに向ける気持ちのかわりではないし、発生させようとして発生するものでもないというのは同じなんだと思う。胸が痛いの方もそうであるように、いつのまにか捕まっている。
不思議なのは胸が痛いにしろキュン死にしろ、ときめきによって寿命が縮む方向の表現なわけだけど、でも実際は、その衝動的な感情は寿命を延ばすように感じられるところだ。例えば、ぐっとくる映画を見た後の小走りのような感覚があるうちは、まだまだ、もっと、にあふれていて、同じ曲を何度も繰り返し聴きながら、声に出す前の瞬間を何万字でも語れそうな気がする。