日記を書く

文章を書くときの癖みたいなものについて考えている。
例えばブログなら、日記は自分の中で音読しやすいように書いている。これは結構昔からの癖で、ブログを音読することなんてたぶんないのに、なんで自分はそうしたいんだろうなとよく思う。
仕事で書く文章ならば、音読のことなんてまるで考えない。事実を正しく、なるべく受け取り方に差がでないように、とかそういうことばかり考えている。だからそれほど楽しくはない。
ブログの感想類はその中間。
twitterはたぶん、ブログ以上にやらないことが多い気がしている。それは見る人のためというよりは、ブログ以上に誰がみるかわからないのに、気軽にポイポイ投げられるのがこわいからだ。それでも後悔することはたまにあって、それは人と話しているときに、あ、言わなきゃよかったなって思ったりすることに似ている。
というところまで考えて、たぶん自分にとっては日記が一番独り言に近いんだろうな、と思った。

以前、お世話になった人に、文章はまず書き上げられるっていうのが大事で、書くことが好きで、書き続けられるならそれだけで価値のあることだよと言われたことがある。
10年も日記を書いていて、それに価値があるかはわからないけれど、私はとにかく書くことはできる、ということを確認したくて日記を書いているような気がする。
だから文章を書こうとキーボードに向かうときはいつもわくわくしている。
走れるかな、と思って走ってみたら、走れた、気持ちいい、という感覚だと思う。
でも最近は、書けるからといってそれが自分のイメージした文章とは限らない、と思うようになった。当たり前だけど。
書くことはできる。たぶんいくらでも。
でもどうせだったらもっと速く走ってみたいとか、そういうことを最近は考えている。
自分の思う速さが何なのかはまだわからないけれど。