桜と卒業

桜の花といえば卒業式、というイメージがあるけれど、自分は卒業式を経験するような年頃に、桜を意識するような情緒を持ち合わせていなかったようで、長年、桜の花と卒業式はあまり結びついていなかった。
だから、数々の卒業ソングで描かれる、桜の花と卒業の風景というものを、どこか絵空事のように感じていたのだけれど、
今年は自分の住む街の桜が満開になった3月の終わりに、長らく応援してきたアイドルの卒業、というイベントが重なったことで、桜と卒業、のイメージがようやく繋がったような気がする。
そのアイドルとは、何度かこの日記でも触れてきた宮澤佐江ちゃんのことで、私が彼女を本格的に応援しはじめたのは2010年の末だった。
繋げて書くのを躊躇うところはあるのだけれど、その翌年が2011年だったということもあり、今思うといろいろと心細い気持ちを、その活躍を楽しみに見ることで支えられていたような気もする。

48G自体に興味を持ったのは、動画を見たりとか、ドキュメンタリー映画を見に行ったこととか、割と自発的な行為によるものだったと思うけれど、でもその中で佐江ちゃんを選んだのは、そうだった、としか言いようがない、直感的なものだ。
そしてアイドルを、自分にしてはかなり真剣に応援してみて思ったのは、誰か1人を推しているからといって、他のメンバーがどうでもいいということはない、ということだった。自分が佐江ちゃんを応援しているのと同じように、すべてのメンバーを、特別に思っているファンはいる。センターが誰であっても、ファンにとっては自分の応援しているメンバーが「瞳の中のセンター」*1だ。
そういう感覚は、48Gのような大所帯を応援しているからこそなのかもしれないけれど、
自分にとってはアイドルだけでなく、「誰かが特別に好きなものは特別である」という感覚を強く持つようになったきっかけでもあった。

佐江ちゃんのことは卒業してからも応援していくつもりだけれど、アイドルだった佐江ちゃんを応援していたことで、そのような感覚を身をもって知ることができたのは、ありがたいことだった、と思う。
そしてこれから先は、桜の花が咲くのを見るたびに、今年のことを思い出すのかもしれない。

youtu.be

このPVの、晴れ着を着た女の子達の面映いような表情がとっても好きです。
水色の着物でショートカットの女の子が私のアイドル。

*1:(C):須田亜香里