生活

自分は自分の人生のある側面について鈍感なのかもしれないと思うことがある。
働いて、食べて、眠る。それ以外はほとんど楽しいと好きを優先して動いていて、毎日まあまあ、幸せだと思う。もうちょっとこうなったらいいな、こうできるようにしたいなと思うことは多々あれど、きっとそのくらいでちょうどいい。

私が深刻でないことについて、たまに、なんでそんなにのんきなのと言われることがある。もっと悩むべきではないのか。年を取るということについて、一人でいるということについて。
そうなのかもしれない、と思う。
いつか、ものすごい後悔をすることがあるのかもしれないとも想像する。

ただ、否応無さというのは時々、唐突に訪れるもので、
あり得たはずのものについて想像してもきりがないし、自分は自分が選んできたものでできている。
永い言い訳」を見て思ったのはそんなことだった。

新宿TOHOに行った後は、歌舞伎町の出口にある横断歩道を渡るのがすごく億劫で、でもちょっと好きだ。信号が変わったとたんに入り乱れる人の群れから拭われたいと思う。ただ、ぶつからずに歩くのは至難の業とも思える数メートルで、ちらりと見る西新宿の空は広い。
いくつもの映画の余韻で上書きされる、この風景が私にとっての東京だ。
10年前は執着できなくなっていく自分を思い、10年後の今はそれはほんの一面だと知っている。
人には向き不向きがあり、居心地よく生活するためには、自分に向いた価値観を応用するのが近道だ。
足りないものはずっとある。今はそれでいいし、10年後の私は何を特別に思うのか、少し興味もある。