読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

あみちゃん

私にはあみちゃん(仮)という同じ年の幼馴染がいる。
家は隣で、幼稚園は違ったけれど小学校は一緒だったから、毎朝あみちゃん家の黒い門をくぐり、「あーみーちゃん、がっこいこ」とあの定番の節で呼びに行くのがお決まりだった。
けれど小学3年生でクラスが別れてから、私たちは急激に疎遠になった。今となっては小学校であみちゃんが誰と仲良しだったのか、まったく思い出すことができない。
そして私が中学で私立に行ってしまってからは、ただの一度も顔を合わせて話をしたことがない。
今も実家は隣にあるのに、だ。

あみちゃんは感情の起伏の激しい子だった。
怒るとよく噛み付くので、私の腕にはしょっちゅうあみちゃんの噛み跡が青あざになって残っていた。
それからあみちゃんは独占欲の強い子だった。
私があみちゃん以外の友だちと遊ぶのを嫌っていたので、私たちが遊ぶときはいつも2人きりか、あみちゃんの妹や私の弟が混ざるくらいだったし、お互いの誕生日会に呼ぶのもお互いだけだった。
そしてあみちゃんはとてもきれいな子だった。
色が白くて唇は赤く、少し茶色がかった髪は細く艶やかだった。

幼稚園の頃は、昼間の時間をほとんどあみちゃんと過ごしていた気がするし、それが当たり前だと思っていた。
けれど小学校にあがると一気に世界は広くなった。
少し離れた場所の幼稚園に通っていたため、その頃の行動範囲に同じ年は私たちしかいなかったけれど、小学校になれば世界は広がり、団地まで行けば同級生はたくさんいた。
しかし、私が新しくできた友達と遊ぶ、といってもあみちゃんは絶対についてこなかった。
その頃、あみちゃんは高学年のお姉さんたちにかわいがられていて、私は「あみちゃんの友達にしてはかわいくない」とその高学年たちからは仲間はずれにされた。

やがて成長とともに、どうやらお互いの親同士はあまり仲良くないようだ――という事情も察するようになり、私たちは徐々に行動を共にすることが減っていった。そして3年のクラス替えでついに、その縁はほぼ途絶えたのだった。

正直に言えば、あみちゃんとの縁が切れたことにより、私は自由になったような気がしていた。友だちと遊ぶことに遠慮しなくて済むようになったし、誕生日会にあみちゃん以外の友だちを呼ぶこともできる。それに噛み付かれることももうない。

けれど今になって当時のことを思い出してみると、私の幼い頃の思い出の多くがあみちゃんとともにあることも確かなのだった。
建築中の家に忍び込んで固まる前のコンクリに足跡をつけまくって怒られたり、オジギソウで延々遊んだり、あみちゃんのお父さんのパソコンを触らせてもらったり、2人だけの秘密基地を作ったり。
今思えば私が憧れ続けている「サーティーワンのアイスケーキ」もあみちゃんの誕生日に出されているのを見たのが憧れのきっかけだった。

あまりにも長いこと離れていたせいで、私はあみちゃんのことをすっかり忘れてしまっていた。
それどころかある程度まで隣の家に住んでいたはずなのに、大人になったあみちゃんがどんな顔をしているのかもわからない。
でも、子どもの頃の思い出には大抵あみちゃんがいて、例えばあみちゃんが私の腕に噛み付くときに、力が入りすぎてちょっと顎が震えてる感じとかは、はっきりと思い出すことができる。

私はたぶん、あみちゃんを置いてきてしまったような気がしているのだと思う。そんなのは大きなお世話で、あみちゃんはあみちゃんで大人になって、もう誰かに噛み付いたりすることもないのだとは思うけれど、
でも朝、学校に行くときに迎えに行くのは常に私の役目だったから、私にはそれを「やめた日」があるはずで、
できることならあみちゃんが、そんなことをすっかり忘れて、幸せに暮らしていればいいなと思う。

今後会うことがあるかはわからないけれど、私の幼馴染はあみちゃんだけだった。