インク瓶

子どもの頃、祖父の書斎にあったインク瓶に憧れていた。
とはいえ、あれがインク瓶だった、と気付いたのはある程度大人になってからだ。
それは蓋付きのうつわと、ペンさしが1枚の板の上に貼付けられているというガラス細工で、台の裏にはえんじ色のフェルト布が貼られていた。
隣にはきらきらした紙の詰まった瓶も置かれていて、書斎に入るたび、せめてこれを1枚もらえないだろうかと思っていた。
あの、机の上の光景を、時折、新しい文具を買うときなどに思い出す。
些細なものだ。
昼過ぎの光の具合や、日の当たった机の上の暖かさ、これを手に入れたらきっと何かすてきなことが起こるという気分だけが、頭の右上に瞬いて、
それを消さないようにそっと、新しい道具を手に取る。

大人になるにつれ、新しくものを買う、という経験は珍しいことではなくなり、とりあえず買って積んでいる雑誌や使い終えていない文具なんてものも増えてきた。
けれど「これを手に入れたら何かが起こる」という予感は大事にしたいし、
その閃きを現実の瞬間に繋げることが、ものを手に入れる責任なのだと自覚したうえで、買い物をしなければと、思っている。

すべて夏休みに解決できたらいいなと、この時期特有の過大な期待を寄せている。夏休みに。