「ダンサー、セルゲイ・ポルーニン 世界一優雅な野獣」

2009年に至上最年少の19歳で英国ロイヤルバレエ団のプリンシパルとなり、2012年に電撃退団をした、ウクライナ出身のバレエダンサー、セルゲイ・ポルーニンのドキュメンタリーを見ました。

恥ずかしながら、私はセルゲイ・ポルーニンのことをほとんど知りませんでした。
幾つかの写真とニュース記事を読んだことがあったくらいで、映画の後半にでてくる『Take Me to Church』の映像すら見たことがなかった。
つまり私はこの映画で初めて、動くセルゲイ・ポルーニンを見たのだけど、
その人生の物語よりもまず先に、世界にはこんな風にはっきりと、目に見える才能というのがあるのだということが、重く、印象に残る映像だったと思います。


映画で描かれる彼のこれまでの人生は非常に過酷なものでした。家族は彼の才能にかける形で散り散りになって金を稼ぎ、それを全て彼の学費に費やしている。セルゲイもまた、自分の成功が家族を再び繋ぐはずだと信じ、幼い頃から努力し続け、ついには幼くして単身、イギリスで暮らすことになる。
家族を犠牲にした上で結果をださなければならない、という重圧は見ていて苦しくなるものだったのだけど、それと同時に、彼の踊りははっきりと、何の裏表もなく圧倒的なのだった。
彼の母親は、もう一度人生を繰り返すとしてもセルゲイのために全てを投げ打っただろうと話していたし、それは並大抵の覚悟ではできないことだと承知したうえで、この才能を前にすれば、それ以外の選択はできないのでは、とも思った。

彼が飛ぶたびに、彼が特別な存在であることがわかる。
英国ロイヤルバレエ団時代には彼のために2年先のチケットまで予約する人がいたという。
それはもちろん、彼が自分の才能に尽くしたからこそ手に入れられた力なのだろうし、私は映画を通してその一端をみただけにすぎない。
けれど、彼のこれまでの人生がどのようなものであったとしても、バレエに出会えば、きっとこの才能は開花しただろうと思ってしまった。
圧倒的な存在に出会って、そのモチベーションに神聖さを見いだしたくなるのは、理解できないものへの解説を求めるような心理だと思う。でも、たとえモチベーションがどんなものであったとしても、その才能が特別なものであることに変わりはない。そして時には才能が人を使役することすらあるんじゃないだろうか。

そんなことを思いつつ、踊る理由をなくし、追いつめられたようなセルゲイの様子を見るのは胸が痛んだ。
映画の中には、彼を大切に思っている人がたくさん出てくる。だから彼は決して孤独ではないはずだ。
でも、映画を見ている間ずっと、その才能によって人生の速度が人と違ってしまっているような孤独を感じていた。なんて言葉にあてはめるとひどく安っぽいけれど、
「才能を抱える」ということのおそろしさを感じる映画でもありました。

とても優しいラストだったのでほっとしたけれど、うまく感想が言葉にならない。
彼の踊りがもっと見てみたいです。

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